2017-11-02 11:21:00

諸聖人の大祝日:「神の光を心に通し、世界に伝えよう」


諸聖人の大祝日を迎えた11月1日、教皇フランシスコはバチカンで正午の祈りの集いを持たれた。

「諸聖人の日」は、天上の栄光のうちにあって、神のもとで現世の人々のために取りなしを続けるすべての聖人たちを祝い、そのために神に感謝を捧げる日。

教皇は集いの説教で、「諸聖人の大祝日は、わたしたちの祭日です。それはわたしたちが立派だからではなく、神の聖性がわたしたちの人生に触れたからです。聖人たちは、完全無欠な模範的人々ではなく、神がその人生の中を通った人たちなのです」と話された。

教皇は聖人たちの生き方を教会のステンドグラスにたとえられた。

教会のステンドグラスは様々な色彩の光を通すが、聖人たちもまた、神の光を自分の心に受け、それをそれぞれの色彩をもって世界に伝えた人たちであると述べた。

そして、聖人たちは神の光をよく通すために、罪から来る汚れや曇りを取り去り、透明にするために闘った人たちであるとも話された。

「イエスと共にいる人は幸い、すなわち幸福である」と語る教皇は、幸福とは何かを所有することや、何者かになることではなく、主と共にいて、愛のために生きることであると説かれた。

幸福への道は、イエスが山上の垂訓で説くことの中にあると教皇は述べ、それは神に心を明け渡す貧しさや謙遜さ、他人や自分の過ちのために悲しむ力、柔和さ、正義を求める心、すべての人に対する憐れみ深さ、心の清さ、平和のために働くこと、悪に対し善で返しながら、憎まず、喜びの中に生きることなどであると話された。

山上の垂訓にあることは、目立つ行いを要求するものでもなければ、超人のためのものでもない、それは毎日の試練と労苦を生きる人たちのためにあると教皇は指摘。

聖人たちは、他の人たちと一緒に、世の悪に汚染された空気を吸いながらも、その歩みの中で山上の垂訓をキリスト教生活の地図として、イエスの足跡を決して見失わなかった人たちであると語られた。

「今日は、その地図に記されたゴールに達した人たちをお祝いする日です。そこには暦の中の聖人たちだけではなく、わたしたちが人生の中で触れあい、知り合った多くの兄弟姉妹たちもいます。今日は家族のお祝い日です。それは、普通の人、隠された人でありながら、神を助け、世界を前進させている多くの人たちからなる家族なのです。」

このように話された教皇は、皆の聖性の歩みのために、またすでに天国に旅立った親しい人々のために、聖母の取次ぎを通して祈られた。

 

 








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