2017-08-24 13:50:00

教皇「典礼改革に後退はない」


教皇フランシスコは、イタリアの「第68回典礼週間」参加者とお会いになった。

「典礼週間」は、「典礼アクション・センター」の主催による、イタリアのカトリック教会の行事。

同センターは、教会の典礼運動を推進するために70年前に誕生、その目的は、キリスト教共同体の典礼を生き生きとしたものにし、イタリア司教協議会の典礼司牧の指針を広め、助けることにある。

8月24日、バチカンのパウロ6世ホールには、「生きた教会のための、生きた典礼」をテーマに、今年の典礼週間に参加したおよそ800人の司祭、修道者、信徒らが集った。

関係者への挨拶で教皇は、典礼改革の源となった第2バチカン公会議に至るまでの教会の歩みを回顧。

ピオ10世やピオ12世のそれぞれの時代の典礼問題への関心と対応を振り返りつつ、公会議の典礼改革は突然花開いたものではなく、長い準備の歩みがあったことを指摘した。

第2バチカン公会議の公文書「典礼憲章」は、信者たちが典礼を黙って見守るだけでなく、聖なる儀式に積極的に参加するようにとの、「生きた典礼」への願い、刷新の希望への回答となったと教皇は述べた。

しかしながら、公文書の表面的で誤った解釈、限定的な受け入れ・実践などの問題を克服し、公会議の指針を実現するためには、まだ多くのすべきことが残されていると話された。

それは、改革が選んだものを見直すことではなく、その理由をよりよく理解し、その教えと規則を守ることと教皇は強調。

「この教えと、長い歩みの後で、わたしたちは確信と教会の教え上の権威をもって、典礼改革は後退することのできないもの、と明言できる」と語られた。

教皇は、典礼は、キリストの神秘の現存ゆえに「生きたもの」であると述べた。

同時に、典礼は教会の全成員が「生きるべきもの」であり、典礼は民の行為でもあるがゆえに、司祭的なものではなく、民のものと定義。

典礼は神から民への行為であると共に、神を賛美し、神に耳を傾ける民の行為でもある。

教会は子どもも大人も、義人も罪びとも、誰をも除外せず、すべてを受け入れるがために、典礼もまた、排他的ではなく、受容的なもの、すべての人との交わりを擁護するもの、と述べられた。

典礼とは、「生活、生きるもの」と教皇は説き、それは理解すべき概念でも、完成させるべき儀式でもなく、「生きる体験」「生き方・考え方を変える体験」であると指摘。

神は存在すると言うことと、神はわたしたちのありのままを愛してくださると、今ここで感じることの間には、大きな違いがあると教皇は述べ、こうして典礼と祈りは「キリスト教生活の学び舎」となると語られた。

さらに、教皇は、「カトリック」すなわち普遍的な教会の豊かさは、ローマ典礼に留まらず、より広がるものと話し、東西それぞれの典礼の伝統の調和は、キリストに捧げるただ一つの祈りの声となると説かれた。








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