2017-05-31 18:52:00

「わたしたちを希望で満たす聖霊の力」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで5月31日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

「聖霊降臨」の祭日を数日後に控え、教皇は「キリスト教的希望」をめぐる謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「希望」と「聖霊」の関係をテーマに講話された。

教皇は、新約聖書の「ヘブライ人の手紙」の中で、神の約束における希望が、神を信じる者にとって「錨(いかり)」のようなものと表現されていることを紹介。

「希望」を表現するために、この「錨」のイメージに加えて、「帆」のイメージをも加えたいと述べられた。

錨が船に安定を与え、荒波に耐えさせるのに対し、帆は船を進ませると教皇は話し、希望はまさに帆のようなものであり、それは聖霊の風を受け、船を押す力となると説かれた。

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」という、使徒聖パウロの「ローマの信徒へも手紙」の言葉(15,13)を教皇は引用。

「希望の源である神」という表現は、神はわたしたちの希望の目的、すなわち、いつか永遠の命において到達すべき存在であるだけでなく、神は今からすでにわたしたちに希望を与えてくださる方、「希望をもって喜ぶ」(ローマ12,12)ことを可能にしてくださる方であることを意味していると説明された。

「生きている限り、希望がある」という言葉があるが、その逆に「希望がある限り、生がある」とも言え、まさに人間は生きるために希望を必要とし、希望を抱くために聖霊を必要としていると語られた。

教皇は、「わたしたちを希望に満ちあふれさせる力」を聖パウロは聖霊の中に見出していることを指摘。

希望に満ちあふれるとは、決して失望しないこと、「信じるすべもない時に望みを抱く」(ローマ4,18)ことであると話された。

聖霊はわたしたちが神の子どもであるという内的な証しを与えながら、この無敵の希望を可能にしてくれると述べた教皇は、「その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8,32)、「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5,5)という、聖パウロの言葉を示された。

教皇は、聖霊はわたしたちに希望を抱かせるだけでなく、同時にわたしたちを希望の種を蒔く人、兄弟たちを慰め、守る人としてくれるとも話された。

間もなく祝う聖霊降臨において、わたしたちが「イエスの母であり、わたしたちの母でもあるマリア」と共に祈りのうちに一致し、聖霊の賜物がわたしたちを希望に満ちあふれさせるようにと、教皇は祈られた。

 








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