教皇フランシスコは、4月13日午後、「聖木曜日」の「主の晩餐のミサ」を、パリアーノ刑務所でとり行われた。
カトリック教会の典礼は、復活祭を目前に控えたこの聖木曜日の午後から、キリストの受難と復活を記念する「聖なる過ぎ越しの3日間」に入った。
聖木曜日の夕方に祝う「主の晩餐の夕べのミサ」では、キリストが最後の晩餐で聖体とミサ聖祭、司祭職を制定したことを思い起こす。
このミサの中では、キリストが最後の晩餐の前に自ら弟子たちの足を洗ったことに倣い、「洗足式」が行なわれる。
教皇がこの日訪問したのは、中部イタリア・ラツィオ州フロジノーネ県にあるパリアーノ刑務所。同刑務所は、現在司法協力者となった受刑者のみ、およそ70人を収容している。
刑務所に到着された教皇は、受刑者たち一人ひとりに言葉をかけ、励ましを与えられた。
ミサは刑務所内の礼拝堂で行われた。
説教で教皇は、この世から父のもとへ移る時が来たことを悟り「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれ」、わたしたち一人ひとりのために命を捧げられたイエスの偉大な愛を観想された。
「わたしたちは誰でも愛することを知っていますが、罪びとであり、限界や欠点を持つわたしたちは、神のように無条件に愛し抜くことはできません」と教皇は述べ、イエスが弟子たちの足を洗う行為を、神の大きな愛の一つの証しとして示された。
土埃にまみれた人の足を洗うという、当時、本来しもべがしていた仕事を、神であるキリストご自身が弟子たちに対して行なった、この立場を逆転させた行為に、人々に仕えるために来られ、わたしたちすべてのために自らの命を捧げられたイエスの愛を見つめて欲しいと教皇は願われた。
教皇は受刑者らにお互いに助け合うようにと勧め、それぞれが仲間に対して行なう一つの奉仕が、愛となり、「洗足」の行為となると話された。
イエスの弟子たちが、誰が一番偉いのかを議論していた時、イエスはそれに対し、一番偉い者は、一番若い者のようになり、上に立つ者は、仕える者のようになるよう説いたことを教皇は思い起こし、「仕える者となる、これが神がわたしたちにしてくださることです」と語られた。
「わたしたちは皆、みじめな者です。しかし、神は偉大で、善い方です。神はわたしたちのありのままを愛してくださいます。この洗足式の間、神を、イエスを思ってください。」
「洗足式は民俗的行事ではありません。イエスがなさったことを思い出す行為です。イエスは弟子たちの足を洗った後、パンを取り、ご自分の体として渡され、ぶどう酒を取り、ご自分の血として渡されました。これが神の愛です。今日、わたしたちは神の愛だけに思いを向けましょう。」
教皇はこのように話し、12人の受刑者たちの足を一人ずつ洗われた。
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