2017-04-02 17:27:00

教皇、北イタリア・カルピへ、地震被災から5年、復興を励ます


教皇フランシスコは、4月2日、北イタリアのカルピ教区を司牧訪問された。

エミリア=ロマーニャ州モデナ県周辺は、2012年5月のイタリア北部地震で大きな被害を受けた。地震から5年が経過した現在、多くの地域がまだその傷跡を抱えている。

被害が特に深刻であった同県北部・西部カルピ教区には、被災の翌月、前教皇ベネディクト16世が訪問し、信者たちを見舞っている。

被災から5年後、教皇フランシスコはこの訪問で、カルピとミランドラの両市に赴かれた。

同日午前、カルピに到着された教皇は、司教座大聖堂前の広場で市民と共にミサを捧げられた。

中世・ルネッサンス期の建造物に囲まれた美しい広場と共に、カルピの中心をなすこの大聖堂は、先の地震で外壁、クーポラ、天井に一部崩落や亀裂を生じ、使用できない期間が続いていた。このたび長い修復・耐震工事を経て、先月25日、バチカン国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿の出席のもと、再び信者に扉が開かれたばかりである。

修復後間もない大聖堂を背景に行われたミサの説教で、教皇はヨハネ福音書のイエスがラザロを生き返らせるエピソード(11,1-45)を通して、復興の中にある信者らに励ましを与えられた。

イエスは、ご自身の十字架上の死と復活を前に、死んで葬られた友ラザロの墓で奇跡を行われた。

ラザロの死が人々に引き起こしたのは涙と絶望であったが、そこでイエスもまた「心に憤りを覚え」「涙を流された」ことに教皇は注目。

イエスのその心は、悪を遠ざける一方で、苦しむ人々に寄添い、魔法のように悪を消すのではなく、人の苦しみに憐れみを寄せ、自分の苦しみとしながら、それを別のものに変容させる、神の御心であると話された。

しかし、同時に、ラザロの死に直面した周りの人々の絶望に流されず、ご自身も苦しみ、憤りながらも、ラザロの墓へと向かうイエスのその毅然とした歩みに、教皇は「この世の苦しみから逃げず、悲観に閉じこもらないこと」をわたしたちも学ぶべきと述べられた。

教皇は、ラザロの死の周りには、人間の命のはかなさに対する絶望と、死と悪に打ち勝つ希望、すなわちイエスと言う名の希望との出会いと対立があったと語られた。

イエスは、そこで少しばかりの幸福や、寿命を延ばす方法を与えたのではなく、「わたしは復活であり、命である」と宣言し、「その石を取りのけなさい」と命じ、「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれたことを、深く観想するよう招かれた。

わたしたちは「墓の側にいるのか、イエスの側にいのか」、「悲しみに閉じこもるのか、希望に向かって開くのか」と問われた教皇は、人生の廃墟に閉じ込められていても、神の助けをもって抜け出し、忍耐強い希望と共に人生を再構築することができると呼びかけられた。

わたしたちは誰でも越えられない傷や、恨み、後悔、苦しみなど、心の中に半ば死んだ部分、小さな暗い墓を持っているが、自分の中のそうした墓を見つめ、そこにイエスを招き、心の復活を可能にしていただくようにと、信者らを勇気付けられた。








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