2017-02-12 16:39:00

日曜正午アンジェラスの祈り: 教皇「うわべだけでなく本物のキリスト者であれ」。


2月12日(日)、バチカン・聖ペトロ広場での正午の祈りで、教皇フランシスコは、主日ミサの福音朗読箇所をテーマに、見かけだけではなく、中身のある本物のキリストの弟子になるよう諭された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のミサで朗読された福音は、キリストの山上の説教の続きです。その中でキリストは、ご自分の本当の弟子になりたい者は、見かけやうわべだけに気を取られるファリサイ派の人々や律法学者たちの教えに従うのではなく、真心からキリストの言葉に従う本物のキリスト者となるよう強く勧告しています。

キリストは、旧約の掟を完成するために、この世に来られました。キリストは、神の掟がどのようなものであるかを決定的に宣言します。そして、神の掟を実行するとはどういうことかを、説教と特に十字架上での死をもって明らかにしてくれました。

キリストは、ファイサイ派や律法学者たちの正義を上回る正義をもって、神のみ旨を誠実に真心を込めて果たすよう教えます。キリスト者の正義は、形式主義にとらわれることなく、愛と憐れみに生かされていなければなりません。

キリストはその説教の中で、いくつかの具体的な観点を指摘します。殺人と姦淫についてです。

キリストによれば、神の掟「殺すなかれ」は、ただ単に人を実際に殺害することだけを意味しません。それは人間の尊厳を損なうすべての行為にまで及ぶ禁令です。

もちろんすべてが同じように罪の重みを持っているわけではありません。しかし、いかなる小さな悪意も侮辱も、さらに大きな罪へと続く同じ列上にあります。重大な罪も、皆小さな心の動きから発しています。キリストは、人を傷つけることに関して、大小をつけないように勧めます。他人を侮辱することは、どんなに些細なことでも、すべて有害なことです。

キリストは一つの例を挙げています。例えば、他人の悪口を言うこと。わたしたちはまるで「おはよう」とか「こんにちは」とでも言うくらいに、簡単に他人の悪口を言うことに慣れてしまっています。

しかし、忘れてはいけないのは、他人の悪口を言うことは、他人を殺すのと同じ線上にあるということです。兄弟の悪口を言いふらすことは、心の中でその兄弟を殺すことです。ですから、どうぞ人の悪口を言うのはやめましょう。なんの得にもなりません。

姦淫についても、キリストはその悪の根本にまでたどりつきます。悪口や侮辱が殺人にまで繋がるように、心の中でのよこしまな考えや思いは、実際の姦淫にまで繋がって行きます。

あらゆる罪は、事実、すべて心の中で生じます。そして、行動に移されるのです。それゆえにキリストは、よこしまな思いで女性を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯していると言うのです。このことについて、少し反省してみましょう。悪い思いは、すべてこの線上にあるのです。








All the contents on this site are copyrighted ©.