2017-02-07 18:48:00

ユスト高山右近:「福音宣教の不屈の推進者、偉大な信仰の宝」、列福式でアマート枢機卿


2月7日、大阪城ホールでとり行われたユスト高山右近の列福式で、教皇代理としてミサを司式した教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿は、右近を日本の教会の「偉大な信仰の宝」として示した。

アマート枢機卿はミサの説教の冒頭で、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12,24)、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」(ヨハネ15,20)というイエスの言葉を引用。

このイエスの言葉がユスト高山右近の中に実現することになったと話した。

同枢機卿は、迫害者にも愛をもって向き合い、そのために祈ることさえした殉教者たちを、キリストの愛の証し人として示し、残忍さに対し愛にあふれる親切で答えた殉教者の生き方は、弱々しさではなく、強さの現れであると述べた。

そして、聖パウロ三木ら26聖人、聖トマス西と15殉教者、福者ペトロ岐部と187殉教者らに代表される、老若男女、社会のあらゆる階層の人々からなる、多くの殉教者たちの証しによって祝福された日本の教会の歴史を振り返った。

アマート枢機卿は「ユスト高山右近とは誰だったのか」、「そのキリスト者としての真髄はどのように息づいていたか」、「右近の言葉は現代のわたしたちにどのような意味があるのか」を考えるように招いた。

同枢機卿は、キリストの教えを伝えることを望み、日本人の宣教師やカテキスタを養成するため、各地にセミナリオを創設するなど、領民に福音をもたらしたユスト右近の活発な宣教活動を紹介。

一方で、キリスタン追放令によって、棄教より、欠乏と、孤独、流浪を選び、マニラ到着後まもなく病に倒れた右近の最期を心に留めると共に、フィリピンにおいて右近の死とその聖性が人々に及ぼした感化に言及した。

「右近は、キリストの教え、愛の言葉、贖いの業に魅了され、その確信により日本の福音宣教の不屈の推進者となった」「真のキリストの武人、その技に長けた剣ではなく、言葉と業による武人であった」とアマート枢機卿は話した。

特権的な地位を失い、生活の貧しさが増し、打ち捨てられ隠れた境遇になっても、気落ちすることなく、平静を保ち、洗礼の約束に常に忠実だった右近の強い信仰を称えた。

悲劇的な死を予感し続けた右近であったが、その殉教は、血を流す殉教ではなく、流刑による引き延ばされた死、十字架のキリストの苦しみに与ることであったと、同枢機卿は指摘。

自分を迫害する人々のために祈り、彼らを赦し、日本の回心を念じて命を捧げた右近は、不和と迫害の困難な時代にあって、キリストへの信仰を卓越した方法で証ししたと述べた。

右近が日本の教会とすべての信者に残したものは、「偉大な信仰の宝」であったとアマート枢機卿は強調。

貧者を助け、病人を見舞い、寛大な施しをし、父ダリヨと共に身寄りのない人の埋葬を行なったユストの、深い福音性に満ちたその数々の慈愛の業、「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」(ローマの信徒への手紙8,35)という聖パウロの言葉をそのままに生きたユストを思い起こした。

「わたしたちの福者の模範が、イエス・キリストの福音への信仰と信頼へと、わたしたちすべてをを突き動かしますように。福者ユスト高山右近、わたしたちのために祈ってください」

このようにアマート枢機卿は列福ミサの説教を締めくくった。

 








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