教皇フランシスコは、1月6日、「主の公現」(エピファニア)の大祝日にあたり、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられた。
「主の公現」とは、幼子イエスへの東方三博士の訪問や、キリストの洗礼、カナの婚礼における最初の奇跡など、キリストが人々の前に公に姿を現されたことを記念し、イエスを通して神の栄光がすべての人々に現れたことを祝う。
イタリアではエピファニアの日は祝日であることから、バチカン周辺は多くの市民や巡礼者で活気付いた。大聖堂に向かう大通りでは、東方三博士らをはじめ、に扮し時代衣装に身を包んだ人々の行列も行われた。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2,2)
ミサの説教で教皇は、メシアに会いに東方からやって来た占星術の学者たちのこの言葉を取り上げながら、三博士の訪問のエピソードにある、「見る」そして「拝む」という2つの態度に視点を向けられた。
「博士たちは星を見て行動を起こした」と述べた教皇は、その星は特別な光り方をしていたわけでも、また彼らがそれを発見する特殊な才能をもっていたわけでもない、それは博士たちが心に望みを抱き、天のしるしを見る、開かれた心をもっていたからであると話された。
教皇はこうした博士たちの態度に、「信じる者」「神への郷愁を感じる人」の姿を見出された。
そして、この「神への郷愁」こそが、「救い主を腕に抱くまでは決して死なない」と確信していた老人シメオンを毎日神殿へと向かわせたのであり、この郷愁が「放蕩息子」を自堕落な生活から抜け出させ、父親の抱擁のもとに帰したと説かれた。
「『神への郷愁』は、わたしたちをいつもの囲いから引き出し、迎合的な態度を捨てさせ、熱望し求めるその変化に向かってわたしたちを駆り立てます。」
「神への郷愁を感じる人は、信仰に励まされ、この博士たちのように、辺境へ、まだ福音の届かない場所へと向かい、そこに神を探し求めに行くのです。」
教皇はこのように話された。
博士たちがベツレヘムへと歩む一方で、そこから遠くないエルサレムでは、ヘロデの宮殿は眠りに包まれていた。
注意深い、目覚めた心を失っていたヘロデは、後でそれを知ると、歴史を変える大きな出来事を前に驚くと共に、成功や権力、財力にすがってそれより先を見ることのできない人の態度で自分の中に閉じこもってしまった。恐怖を感じた彼は、自分の安泰を求めて、ベツレヘムと周辺一帯の幼い男子を皆殺しにするという犯罪を行なったと、教皇はこの悲劇を振り返られた。
次に教皇は、ユダヤ人の王として生まれた幼子を拝みに来た東方の博士たちが、最初にエルサレムのヘロデの宮殿を訪ねたことに注目。
しかし、王の居場所として一見ふさわしい宮殿には幼子はおらず、彼らが幼子に出会ったのは人里はなれた貧しい環境の中であった。
このまだ知られていない王、謙遜で、人を隷属させることなく、立ち上がらせ、赦し、癒すこの王に会うには、思いがけない場所、おそらくわたしたちが望まず、拒む場所に導かれる必要があったと教皇は話された。
ヘロデが幼子を拝むことができなかったのは、彼が自分の眼差しを変えることができなかった、すなわち、自己崇拝をやめることができなかったからであると教皇は指摘。
それに対し、博士たちが幼子を拝むことができたのは、彼らが歩む勇気と、小さく、貧しい、弱い存在の前にひれ伏す勇気を持っていたからであり、誰も知らないベツレヘムの幼子にひれ伏しながら、彼らは神の栄光を見たのである、と説かれた。
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