2016-09-11 17:33:00

日曜正午アンジジェラスの祈り 教皇フランシスコ:「神はいつも私たちを待ち,ゆるしてくれる」


日曜正午のアンジェラスの祈りに際して、教皇フランシスコは聖ペトロ広場を埋め尽くした信者たちに向かって「神の恵みによって立ち直れない罪はない。いかなる人も神と共ならいつで立ち直ることができる。たとえ私たちが罪を犯そうとも、神はいつも私たちの善だけを望んでおられる」と話された。

「兄弟姉妹の皆さん、ルカによる福音書第15章は「いつくしみの章」と呼ばれます。ここには文句を言うファリザイ派の人々や律法学者たちに答えとしてイエスが語った3つのたとえ話が記されています。

第1のたとえ話では、神は迷った一匹の子羊を99匹の羊たちを残して必死に探しに行く羊飼いとして紹介されています。2番目のたとえ話では、失われた1枚の硬貨を家中くまなく探し回る一人の女性として表されています。第3番目のたとえ話では、神は家を出て行った放蕩息子を再び受け入れる父親として描かれています。これらのたとえ話はいずれも心を改め神のもとに帰る人々を喜んで受け入れ大喜びする神の姿を如実に表しているのです。いつくしみの聖年になんとふさわしいたとえ話でしょう。

この3つのたとえ話によってイエスは神の本当のみ顔を見せてくれます。両手を大きく広げてやさしさと同情をもって受け入れ抱きしめる父なる神のみ顔です。これらのたとえ話は皆を感動させます。それは再び見出した放蕩息子をしっかりと抱きしめ受け入れる父なる神の無限の愛を示しているからです。

わたしたちの心をより強く打つのは放蕩息子の悲惨な物語よりこの若者が言った言葉のほうです。

「立って父のもとに帰ろう」

父親のもとへの帰還の道は「希望の道」「新しい生命」への道です。

神はいつもわたしたちが彼のもとに戻るのをお待ちになっています。この上もない忍耐をもってわたしたちを待ってくれています。まだ遠くにいるわたしたちを先に見つけ自ら走り寄ってくれます。そしてわたしたちを抱きしめ、ゆるしてくれるのです。

神はこういうお方です。わたしたちの父はこのようなお方です。神のそのゆるしはわたしたちの過去を消し去り愛の中に再生させます。神はわたしたちを抱きしめゆるす時すべてを忘れてくれます。記憶をなくしてしまうのです。悔い改める罪びとの過去を忘れ去ります。神は罪びとが彼のもとに帰る時、厳しい言葉や叱責ではなく大きな喜びをもって祝ってくれるのです。

わたしたちが「ゆるしの秘跡」を受けに告解場に近づくたびに天国では大きな喜びあるということを考えたことがありますか。なんとすばらしいことでしょう。








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