2016-07-31 12:19:00

WYD:教皇と若者たちの閉会前夜の祈り「ソファの上の安楽を捨て、イエスと共に歩む」


教皇フランシスコは、カトリック教会の「世界青年の日(ワールドユースデー、WYD)」クラクフ大会の閉会前夜の祈りを若者たちと共にとり行われた。

7月26日の開会ミサをもって始まったWYDクラクフ大会は、27日にポーランド入りした教皇を迎え、連日様々な司牧的行事や友好を深める催しが行われた。同大会は31日の閉会に向けて、いよいよ大詰めを迎えた。

大会終了を前にした7月30日、すべての参加者たちは「閉会前夜の祈り」と翌日の「閉会ミサ」の会場である、クラクフ郊外の「いつくしみのキャンパス」を目指して徒歩で移動した。その道のりで、また到着した広大な会場で、様々な国のグループが行き交い、色とりどりの旗がひるがえった。

夕日の差す会場に、特別車「パパモービル」で入場された教皇は、5大陸を代表する若者たちと手を取り合い、キャンパスに設けられた「聖年の門」を一緒にくぐられた。

会場の舞台では、いつくしみや赦しをテーマに、聖ファウスティナ・コヴァルスカや聖ヨハネ・パウロ2世の姿がクローズアップされると共に、テロや戦争、無関心や孤独、失望や不安の中を生きる今日の若者たちの姿が、ダンスなどのパフォーマンスを通して描き出された。

そして、ポーランド、シリア、パラグアイ出身の3人の男女が、神から遠ざかりながらも赦しの秘跡を通して神のいつくしみに触れた体験、「忘れられた町」アレッポで内戦による死と恐れと不安に直面しながらもキリストに固く信頼する生活、麻薬の深い罠から信仰をもってはい上がった経験をそれぞれ語った。

教皇は若者たちへの言葉で、安楽に何も考えずに生きることをやめ、自分の足跡を刻む生き方、兄弟愛の橋を架ける生き方を選ぶよう訴えられた。

「わたしの愛する国、シリアのためにどうか祈ってください」というアレッポの女性の叫びを深く受け止められた教皇は、苦しみや戦争を生きる若者たちの存在は、新聞記事の中の遠い世界の話ではないと強調。これらの人々は、一人ひとりが名前と顔と背景を持ち、わたしたちの間にいて、わたしたちに祈りを求めていると話された。

教皇はこうした人々の苦しみを前に、「わたしたちはここで、誰かに対して声を張り上げたり、喧嘩を売ったり、まして破壊することはありません。わたしたちは憎しみに対して憎しみで勝利し、暴力にさらなる暴力で勝とうとは思いません」と述べられた。

そして、「世界に対してわたしたちは、兄弟愛、誠実な友情、家族という言葉をもって答えます」「わたしたちの最も雄弁な言葉は、祈りの中に一致することです」と話された。

こうして、教皇は参加者たちを静かな祈りへと招かれた。

祈りの後、教皇は、若者たちが共に祈る姿を、聖霊降臨の日の使徒たちの姿と重ねられた。

イエスの十字架上の死の後、使徒たちは 迫害を恐れて一つの家の中に閉じこもっていたが、その時、聖霊が火の舌の形をして彼らの一人ひとりに降り、聖霊を受けた彼らは今まで考えてもいなかった冒険へと旅立つことになったと、教皇は聖霊降臨の偉大な出来事を振り返られた。

恐れは人を閉じこもらせ、身動きを奪うと教皇は指摘。世界や社会の中に自分の生きるスペースが無いと感じる時、成長し、夢を見、創造することができないと思う時、人は身動きを失い、出会いや友情や、一緒に夢見たり、歩むことを諦めてしまうと話された。

一方で教皇は、人生を麻痺させる別の危険、しかも自覚しがたい危険として、「ソファの上の幸福」を挙げられた。

「ソファの上の幸福」とは、気持ちの良い安全なソファの上でビデオゲームやコンピューターの世界に閉じこもり、あらゆる苦痛や恐れから隔離された状態と教皇は説明。

「この状態は静かに人を蝕み、わたしたちが眠り込んだり、ぼんやりしている間に、わたしたちの将来は自分ではない誰かによって定められてしまいます」

「わたしたちは、楽をして、なんとなく生きるために、この世界に生まれてきたのではありません。わたしたちは自分の足跡を残すために生まれてきました。しかし、わたしたちが安楽さの方を選ぶ時、わたしたちは自由を失うという、高い代償を払うことになるのです」と警告された。

 「イエスは常に危険を冒す方であり、安楽を好む方ではありません。イエスに従うにはかなりの勇気を必要とし、気持ちのよいソファを、歩くための靴と交換しなくてはなりません」と述べた教皇は、想像したことのない、新しい地平を開く道、神が教えるいつくしみに従い、飢えた人、服のない人、病者、失敗した友人、受刑者、難民、移民、孤独な人と出会う歩みへと、若者たちを招かれた。

 今日の社会は人を分け隔てることに関心を注ぎ、自分の中に閉じこもることが自分たちを守る最良の手段だと思いこませていると教皇は指摘。

多様性の中の共存、対話、多文化の共有は、脅威ではなく一つのチャンスであること、壁を築くより橋を架けることのほうが易しいと、若者たちから大人たちに教えて欲しいと願われた。

「橋を架ける」ことについて、教皇は最初の橋とは何でしょうかと問い、今ここで互いに手を取り、最初の橋を架けましょうと会場の若者たちに呼びかけられた。

「今日、道であるイエスは、あなたが歴史に足跡を残すように呼んでいます。命であるイエスは、あなたの人生と共に他の人々の人生をも満たせる足跡を残すように召されています。真理であるイエスは、分離と、分裂、無意味な道を後にするようにと招いています」

教皇はこのように話し、「主が皆さんの夢を祝福されますように」と祈られた。

 








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