2016-07-28 11:24:00

WYDクラクフ大会:教皇「人生でなすべきことは、橋を架けること」イタリアの若者たちに


教皇フランシスコは、ポーランド訪問初日の7月27日、TV中継を通しイタリアの若者たちと交流された。

カトリックの若者たちの祭典「世界青年の日(ワールドユースデー、WYD)」のクラクフ大会のためポーランド入りした教皇は、滞在先の大司教館からの中継を通し、イタリアのカトリック系TVの番組に出演された。

WYDクラクフ大会には、イタリア全国からおよそ9万人の青少年が参加。この夜、クラクフ市内の神のいつくしみ巡礼聖堂に集ったイタリアの参加者らに教皇は挨拶をおくると共に、代表の若者たち3人の質問に答えられた。

プーリア州の大学生は、今月同州で起きた鉄道事故が与えた心的衝撃を語り、普段その鉄道を通学に利用していたために、親しい人々を亡くした悲しみと事故に対する恐怖をどのように克服できるのかと尋ねた。

教皇は、この鉄道事故で多くの人が体を負傷したが、また心に傷を受けた人もいると述べ、この「ショック」「恐れ」は心に傷跡を残すが、わたしたちにはそれを乗り越えることで、さらに人生を前進させるチャンスも与えられていると話された。

本来、人生は傷だらけで、わたしたちは生きる途上であちらこちらに傷を負っているが、大切なのは、人生に起きる良いことも、悪いことも、しっかり背負って前進できるだけの、賢明な人間になることと教皇は説かれた。

人生に自分をつぶされるのではなく、自分が人生を克服すること、喜びをもって生きればそれはできると教皇は答えられた。

また、小さい頃にイタリアに移民し、イタリア語が不得意だったために、長い間いじめを受け、自殺未遂で病院に搬送されたこともあるという少女は、入院中に、治療を受けるべきなのは自分ではなく、自分をいじめた人々ではないだろうかという思いによって、自信を取り戻し、強くなることができたと語った。ただ、自分を苦しめたこれらの人々をどのように赦すことができるだろうかと、教皇に質問した。

少女の勇気を称えられた教皇は、いじめ問題に言及。残酷さは大人にも子どもにも見られるが、残酷さとは人を育てないで、人を殺すもの、人間の残酷性はすべての戦争のベースとなっていると話された。

自分にひどいことをした者を赦すことは難しく、「赦しはするが、忘れはしない」と言う人もいると教皇は述べつつ、完全に赦すためには、わたしたちの力だけでは足りず、神にその恵みを願わなくてはならないと強調。

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」という福音書中のイエスの言葉は、赦すという賢明さを主の御手に委ねなさいということであり、その赦しの知恵とは主からいただく恵みにほかならないと説かれた。

また、ヴェローナの青年は、グループでWYD参加のためにポーランドに向かう途中、ドイツのミュンヘンで銃乱射事件に遭遇し、一旦帰国を余儀なくされたが、再び出発して、クラクフにやってきたと、自身の体験を語った。そして、これほど憎しみに満ちた世界で、わたしたち若者はどのように平和を広めていけるのかと質問した。

教皇は、青年が述べた「平和」と「憎しみ」という2つの言葉に注目。「平和は橋をかけるが、憎しみは壁を築く」「壁は分裂を生み、憎しみは増大する。橋は人々を一致させ、人は互いに話し合うことを学び、憎しみは対話に場を譲っていく」と述べ、わたしたちは橋をかけるか、壁を作るかのどちらかを選ばなくてはならないと話された。

時には、相手に手を差し出して拒否されることもあるだろうが、それに対して良いことをして報いなくてはならないと教皇は述べ、あなたが家に帰った後、もう一度出直して、今この会場にいるように、妨げにあってもまた前進する、常に橋を架け続ける態度が大切と励まされた。

「皆さん、たくさんの橋を架けてください。わたしは人間的な橋がたくさん築かれるのを見たいと思います。人間的な橋を架けること、それが人生でなすべきことです」と、教皇は若者たちを勇気付けられた。

TV中継終了後、教皇はクラクフの大司教館の窓から、外に集った若者たちに挨拶をおくられた。

この中で教皇は、WYD大会のためにポスターなど様々なデザインを手がけた一人のボランティアの若者が、大会を前に病気で亡くなったことを心に留め、青年のために皆と共に祈られた。








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