2016-06-22 14:40:00

「神の力を信じて近づき、清めを願う」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで6月22日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで教皇は、「心を清めるいつくしみ」をテーマに、ルカ福音書のイエスが重い皮膚病の人を癒すエピソード(5,12‐16)を取り上げられた。

イエスはある町で、全身重い皮膚病にかかった人と出会った。この人はイエスに「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(ルカ5,12)と願った。

教皇は、この人がイエスに向けた願いは、ただ治りたいのではなく「清くなりたい」、すなわち身も心も完全に癒されたいというものであることに注目された。

当時、重い皮膚病患者は皆から疎外され、神殿に行くことも、神事への参加もできず、神からも人からも遠ざけられていたことを教皇は指摘。

しかし、決して諦めることなく、町に入ってはいけないという規則を犯すことも恐れずに、イエスに近づき、清めて欲しいと願ったこの人の言動は、まさに信仰の表現であったと話された。

イエスの力を信じ、あらゆる決まりごとを乗り越えてイエスに向かい、その前にひれ伏し、イエスを「主よ」と呼んだこの人の信仰を見つめられた教皇は、イエスに近づくには長い言葉は要らず、短い言葉で、その全能と愛を信じて近づき、神の無限のいつくしみに委ねるだけで良いと説かれた。

教皇はご自分も就寝前に主に「清めてください」と願い、わたしたちを清めてくださったイエスの5つの傷を思いながら「主の祈り」を5回唱えていると、信者たちに話された。

イエスはこの人を深く憐れみ、手を差し伸べて触れ、「よろしい、清くなれ」と言って癒した。教皇は、モーセの律法で重い皮膚病患者に近づくことは禁じられているにも関わらず、この人に手を差し伸べて触れるイエスを観想。

わたしたちが貧しい人たちと出会う時、同情はしても彼らに触れることはめったにないが、その貧しい人の体はイエスであることをわたしたちは忘れていると話された。

そして、貧しい人や疎外された人に触れることを恐れてはいけない、なぜならイエスがその人たちの中におられるからであると説かれた。

この日の謁見で、教皇は難民のグループとお会いになり、これらの青年たちをステージ上のご自分の近くに招かれた。

青年たちを会場の参加者らに紹介された教皇は、「疎外された存在と思われているこれらの人々は、実はわたしたちの兄弟です。キリスト者は誰をも疎外せず、皆に居場所を与え、皆を受け入れなければなりません」と呼びかけられた。

教皇は、それぞれが自分自身の惨めさや偽善的な態度を率直に見つめ、神と向かい合い、その前でひざまずき、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と祈る必要を強調された。








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