2016-02-10 15:38:00

「聖書における聖年とは、分かち合いといつくしみ」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで2月10日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

カトリック教会の暦は、この日「灰の水曜日」を迎えると共に、復活祭前の回心と償いの期間「四旬節」に入った。教皇は謁見の席で、参加者らに実り多い四旬節の歩みを祈られた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)では、教皇は「聖書における聖年・正義と分かち合い」をテーマに講話された。

教皇は、旧約聖書・レビ記(25,9b-10.12a)に記されるように、50年ごとに訪れる「ヨベルの年」は、イスラエルの民の宗教・社会生活にとって、一つの頂点であったことを紹介。

ヨベルの年には、民全体に主のいつくしみを祈り、角笛を鳴り響かせ、偉大な解放が告げられた。

この聖なる年には、債務の取り消しや、所有地の返却と共に、全般的な免除が行なわれ、人々は神の民の一員として再び自由を享受することができた。

教皇はこうしたことを説明しつつ、この聖なる年は、貧しさや不平等と闘い、皆に尊厳ある生活を保証し、住んだり、耕したりする土地を平等に分配することに役立っていたと指摘された。

ヨベルの年のこうした免除の中心には、土地は本来神のものであり、それが人間に託されたという考えがあり、それゆえ誰かが自分の特権を主張し、不平等を生むことはできなかったと話された。

ヨベルの年によって、貧しさに陥った人は生活に必要なものを取り戻し、豊かになった人は貧しい人が失ったものを返さねばならなかった。

実際、聖年は人々が兄弟愛のうちに互いに助け合うことを促す役割を持っていたのであり、困窮した兄弟のための善を誠実に求めるという意味で、聖書的な聖年は、「いつくしみの聖年」と呼べるものであったと教皇は強調された。

教皇はまた、ヨベルの年と同様に、聖書の中には人々が主のいつくしみを体験できるように作られた法律があることを指摘。収穫の十分の一を神に仕える者や、土地のない人、貧しい人、寡婦に分け与える規定(申命記14,22-29)、収穫物の中でも貴重な部分である初物をレビ人と寄留者で分け合う規定(申命記18,4-5; 26,1-11)などを示された。

聖書は、お金を借りたい人に寛大に応え、不可能な利息を課すことがないように繰り返し強調していると述べた教皇は、聖書のメッセージとは、勇気をもって分かち合いに心を開くことであり、これこそがいつくしみなのであると説かれた。








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