2015-12-09 15:23:00

いつくしみの聖年:「神が喜ばれることを知り、選択する」教皇、一般謁見で


教皇フランシスコは、バチカンで12月9日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

前日8日、「いつくしみの聖年」の開幕ミサを司式し、聖ペトロ大聖堂の「聖年の扉」を開いた教皇は、謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「なぜいつくしみの聖年なのか」を説明された。

「教会は、いつくしみの聖年という、この特別な時を必要としている」と教皇は強調。

「大きな変化の時代にあって、教会は神の現存と人々への寄添いのしるしを目に見えるものとするために特別な貢献をするよう招かれている」

「人間の限界を超え、罪の闇に光を輝かせる神のいつくしみを観想し、その確信した証人となるために、聖年はよりよい機会となる」と話された。

「いつくしみ深い神に、またいつくしみを必要とする兄弟姉妹に眼差しを向けることは、福音の本質に注意を向けること」と教皇は述べ、「それは人となられ、三位一体の神の愛の偉大な神秘を目に見えるものとしたイエスご自身を見つめることである」と説かれた。

そして、いつくしみの聖年を祝うことは、すなわち「いつくしみ深い神、イエス・キリストを、わたしたち個人と共同体の生活の中心に改めて据えることである」と話された。

この聖年は教会にとって、「神が喜ばれることは何なのか」と考え、その選択を学ぶためのまたとない機会であると教皇は指摘。

神が喜ばれること、それはご自分の子らを赦し、いつくしみを示しされること、彼らもまた兄弟たちを赦すことで、世界に神のいつくしみの灯を輝かせることであると述べられた。

「善き羊飼いに再び発見された迷子の羊のように、イエスがわたしたちを見つけに来てくださったことに強い喜びを感じること」、これこそが教会がこの聖年に目標として期待することと話された教皇は、聖年を通して、神のいつくしみがより人間的な世界の構築に実際に働きかけるという確信を強めて欲しいと願われた。

 








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