2015-11-20 15:43:00

教皇フランシスコ、ドイツ司教団に「教会は人々の中に出ていくべき、中にひきこもっていてはいけない」


11月20日、アド・リミナ「司教たちのバチカン定期訪問」のためにバチカンを訪れていたドイツの司教たちに教皇は会われ、ドイツ国内でも大きな懸案となっている難民問題について話された。

諸外国からの難民たちの救助策は今日のヨーロッパの国々における緊急問題になっている。

教皇フランシスコはドイツの司教たちに対して「教会は常にどこでも神から派遣された宣教師の教会であるべきであり、決して自分自身の中に閉じこもっていてはいけない」と強調された。教皇はまた過去の良い時代の思い出に浸るだけではなく常に現実の世界に目を開き、緊急問題に目を向けるようにしなければいけないことをも指摘された。

教皇フランシスコはこのドイツ司教団との出会いの冒頭で、ドイツの教会また多くのドイツ人キリスト教徒たちが、戦争や迫害から逃れてくる難民たちを受けいれ寛大な援助をおしまず人道的事業に専念していることを指摘し、これからもこの道を突き進んでくれるよう励まされた。
教皇フランシスコは続いて今日のドイツ・カトリック教会の現状にも触れ、堅信や婚姻などの秘跡に近づく人々の数の減少、また、すでに十人に一人ぐらいの信者しか日曜日のミサに行かないという現実を踏まえて、一体今何が出来るかと自問されている。その答えの一つとして何よりも先ず、現状に甘んじないこと諦めないこと、また過去の良き時代の遺産によりかかっていては教会の本質的な建て直しは不可能である、だからこそ今、初代教会の信者たちの生き方に倣う必要がある。最初のキリスト教徒たちは常に神のみことばから力を汲んでキリストの福音、喜ばしい便りを伝えていた、という事実を指摘された。

教皇フランシスコはまたもう一つの危険をも指摘された。それは今日の教会がしばしば落ち込む落とし穴のようなもので、教会内に様々な余計な制度や組織を増設することである。新しい制度や組織ばかり増えてそこに信者の姿がしばしば欠けるという現状が生じている。あたかも新しい形のペラギウス派の異端のようなもので制度や組織によって救いがもたらされるかのような錯覚に人々を陥れる危険がある。あまりにも官僚化されすぎれば.教会本来の生命力や宣教力を複雑化し損なう危険がある。教会は自分たちの問題や疑問の周りを回るだけのかたく閉じた存在ではなく、生きている存在、人々の現実問題の中に入っていく存在、周りの人々の問題や困難に心を砕き心配することが出来る存在、同時に人々を力づけ生かすことの出来る存在、謹厳な顔ではなく、しなやかな身体、イエスの身体を供えた存在であることを教皇は強調された。


教皇はドイツの司教たちに、常にどこででも信仰の教師であるようにと励まされた。特に大学の神学部について話され、教会とその教導職に対する忠誠は決して学問の自由とあいいれないものではない、しかし、神の恵みに対する謙遜な態度はいつも必要であるということを指摘された。また来月から始まる神のいつくしみの聖年にあたって信徒たちが赦しの秘跡やご聖体の秘跡の重要性に目覚めるようそして教会は常に「受胎の瞬間からその自然な死に到るまで」の人間生命の擁護者であり続けるよう心から望んでいる旨を表明された。








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