2015-07-13 12:01:00

パラグアイ:アスンシオン・ニュワス公園で教皇ミサ「教会は受け入れの家」


7月12日、パラグアイ訪問最終日、教皇フランシスコは、アスンシオンのニュワス公園で市民参加のミサを捧げられた。

今回の南米訪問で最後の教皇ミサが行われたニュワス公園には、およそ百万人の信者が詰め掛けた。

祭壇を覆う舞台は、麦の穂やとうもろこし、ヤシの実や様々なくだもので飾られた。舞台は大きな十字架を頂点に、左右には、パラグアイに最初に宣教に訪れたフランシスコ会とイエズス会の宣教師たちに敬意を表し、アッシジの聖フランシスコと聖イグナチオ・ロヨラの肖像がとうもろこしの粒とかぼちゃの種でモザイクのように描かれた。これらの装飾に使用された材料は、ミサの後、貧しい人々に配布される。

ミサの説教で教皇は、キリスト者とは迎え入れることを知る人々、教会とは受け入れの家であると話された。

教皇はこの日の福音朗読、イエスがはっきりした規則と共に12人を派遣するエピソード(マルコ6,7-13)を観想。

「旅には杖一本のほか、パンも、袋も、また帯の中に金も持ってはならない」という決まりに加え、ある家に入ったら、その家にとどまり、彼らを迎え入れず、耳も傾けない所があったら、出ていく時に、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落とすように、というイエスの指示の中で、教皇は特に「迎え入れる」という言葉に注目された。

イエスはこの派遣を通して、弟子たちに「迎え入れること」とは何かを学ばせようとしたと教皇は指摘。迎え入れること、受け入れることはキリスト教共同体の本質的性格であり、キリスト者とは受け入れを学んだ者たちであると話された。

弟子たちは、権力者や所有者として派遣されたのではなく、その歩みを通して、自らの心を変容し、他の人々の変容をも助けながら、違う掟のもとで、違う生き方を学ぶように派遣されたのであると教皇は強調。

それは、エゴイズムや、闘争、分裂、優越の論理から、命と、無償性、愛の論理に移ることであったと教皇は説かれた。

教会は心を広げ、迎え入れる母であり、特に特別な助けを必要とする人、大きな困難に置かれた人々に開かれなければならないと述べた教皇は、イエスが望まれたように、教会が受け入れの家となるようにと、信者らに呼びかけられた。








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