2015-07-07 12:48:00

エクアドル:教皇、グアヤキルで家庭のためのミサ


南米を司牧訪問中の教皇フランシスコは、7月6日、エクアドルのグアヤキルでミサを捧げられた。

南米3カ国歴訪の最初の訪問国、エクアドルの首都キトに5日到着された教皇は、翌朝、同国で最も人口の多い都市であり、経済活動の中心でもあるグアヤキルに特別機で移動された。

教皇はグアヤキルの「神のいつくしみ巡礼聖堂」を訪問、続いて郊外のロス・サマネス公園で市民のためにミサを司式された。

広大な公園とその周辺には、およそ100万人の信者が詰め掛け、教皇を熱く歓迎した。

エクアドルでの最初のミサは家庭のために捧げられた。説教で教皇は、ミサ中に朗読された「カナの婚礼」のエピソード(ヨハネ2,1‐11)を取り上げ、カナの婚礼の席に見るマリアの「母」としての姿を観想された。

教皇はまず、ぶどう酒が足りないという新郎新婦の必要に気づく、「マリアの配慮」に目を向け、自分の世界に閉じこもらず、他の人々に向かうその愛の力を指摘された。

ぶどう酒とは喜び、愛、豊かさの象徴であると述べた教皇は、若者、女性、お年よりなど、彼らの家庭にこのぶどう酒の必要を感じている人々がどれだけいることかと話された。

次に教皇は「マリアのイエスに対する信頼と祈り」を掲げ、世話役ではなく、直接イエスに新郎新婦の問題を示すその姿を見つめられた。

「ぶどう酒がなくなりました」というマリアに、イエスの答えは「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」という一見失望させるものであったが、マリアはとりあえずその問題を神の手に託したのであり、結果として、マリアの他人に対する配慮は「神の時」を早めさせることになった、と教皇は説かれた。

祈りは、わたしたちを「心配」という囲いから抜け出させ、わたしたちを苦しめ、動揺させるものをも乗り越えて、他の人々の身の上を思いやるまでに導くと話した教皇は、家庭は祈りの学び舎であると強調された。

最後に教皇は「行動するマリア」の姿を浮かび上がらせた。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」とマリアが召し使いたちに向けた言葉は、わたしたちにも向けられたものであり、仕えさせるためでなく、仕えるために来られたイエスのために、わたしたちも快く奉仕しなくてはならないと話された。

「奉仕とは、真の愛の基準です」と述べた教皇は、誰をも除外せず、互いに愛し合い、奉仕することを、家庭の中で学ぶよう招かれた。

ミサ終了後、教皇はグアヤキルのイエズス会の神学院を訪問。共同体のイエズス会員らと昼食を共にされた。








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