2014-09-25 18:37:36

教皇一般謁見・講話・韓国訪問を終えて(2014.8.20)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

わたしは先日韓国訪問旅行を終えたばかりです。今日皆さんと一緒にこの大きな恵みを神に感謝しましょう。

この訪問でわたしは、多くの殉教者たちの証の上に建てられた、活動的で、宣教精神に満ちた、若い教会を訪問することができました。この国では、古いアジアの文化と、福音の永遠の新しさが出会っています。

今回の使徒的旅行は、次の3つの言葉に要約されます。それは、「記憶」「希望」「証し」です。

韓国は、近年、驚異的な経済発展を遂げました。国民は働き者で、規律正しく、祖先から受け継いだ遺産を忠実に守り抜いています。こうした中、教会は希望の記憶の保管者であり、また一つの霊的家族です。大人は、若者たちに、お年寄りから受け継いだ信仰のともし火を伝授します。過去の証しの記憶は、現在の新たな証し、未来の希望となります。

このような視点から、今回の司牧訪問の2つの主要行事、パウロ・ユン・ジチュン(尹持忠)と123人の同志殉教者の列福ミサと、「第6回アジア・ユース・デー」を見ることができます。

若者はいつでも、何か命をかける価値あるものを求め続けます。そして、殉教者は生命をかける価値あるもの、いやある御方を証しするのです。神の子イエスは人となられました。神なる御父の証人です。今回の若者たちの行事において、復活された主の霊は、わたしたちを喜びと希望で満たしました。若者たちはこの喜びと希望をそれぞれの国に持ち帰ることでしょう。

韓国の教会は、この国の信仰の初期に、また福音宣教においても示された、信徒が果たした第一義的な役割の記憶をとどめています。事実、韓国のキリスト教共同体は、宣教師たちによって創設されたのではありません。1700年代後半、キリスト教の教えに魅せられ、それを深く研究し、生活の規範として選択した一団の若者たちによって始められました。彼らのうちの一人が洗礼を受けるために北京に送られました。そして、彼自身が今度はその仲間たちに洗礼を授けたのです。この最初の小さなグループは、やがて大きな共同体へと発展していきました。そして、その始めから約1世紀にわたり激しい迫害を受け、何千人もの殉教者を出しました。韓国の教会は、信仰と、宣教的熱意、信徒たちの殉教の上に建てられました。

韓国の初期キリスト教徒たちは、あらゆる社会的身分の差を越えて、兄弟愛を実践しながら、あのエルサレムの使徒たちの共同体を模範としました。ですから、わたしは今日のキリスト教徒たちにも、マタイの福音書25章にある「これらのわたしの最も小さな兄弟にしたことは、わたしにしたことである」という主の言葉に従って、最も貧しい人々、疎外されている人々と寛大に分かち合うよう励ましました。

親愛なる兄弟の皆さん、韓国の信仰の歴史を見ると、いかに神は、文化を無視せず、また 何千年にもわたって神と隣人への愛を実践し、真理を追求する民族の歩みを消し去ることがないことが良く分かります。キリストは善いものを抹殺しません。かえってそれを促進し完成に導くのです。

キリストが戦い、そして打ち負かすのは悪です。悪は、人と人、民族と民族の間に毒麦を蒔き、拝金主義のために分裂を引き起こし、若者の心の中に虚無主義の毒を流し込みます。イエス・キリストはこの悪を打ち破り、愛の犠牲によって勝利を博しました。 もしわたしたちがキリストの中に、その愛に留まるなら、わたしたちもかの殉教者たちのように、キリストの勝利を証しし、生きることができるでしょう。この信仰をもってわたしたちは祈りました。そして今も祈りましょう。戦争と分裂の結果に苦しむ朝鮮半島のすべての人々が、和解と兄弟愛の道を完遂することができますように。

今回の訪問は、被昇天の聖母の大祝日の光に照らされました。教会の母聖マリアは、キリストと共に天から神の民の歩みを共にし、最も困難な歩みを支え、試練にある者たちを力づけ、希望の展望を開き続けてくださいます。マリアの母としての取次ぎによって、主がいつも韓国国民を祝福し、平和と繁栄を与えてくださいますように。そして、かの地に生きる教会が祝福され、福音の喜びに満ち、実り豊かでありますように。









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