2014-09-05 17:11:10

韓国訪問:アジアの若者たちとの集い・教皇講話(部分)(2014.8.15)


親愛なる若い友人の皆さん

「ここにいるのはなんと素晴らしいことでしょう」 (マタイ17,4)。
これは、イエスがタボル山上で栄光のうちに変容された時、その場にいた聖ペトロの言葉です。わたしたちにとっても、韓国の殉教者巡礼地に今こうして集っているのは、素晴らしいことです。主は、この国の教会の黎明期に、これらの殉教者たちを通してその栄光を現されました。アジア全土からやって来た若いキリスト者たちのこの大きな集いにおいても、わたしたちの中に、すべての国々・言語・民族を抱擁する教会の中に、刷新し若返らせ生命を与える聖霊の力の中に、イエスの栄光を見る思いがするのです。

皆さんの温かい歓迎に心から感謝します。皆さんの情熱、喜びに満ちた歌声、信仰の証し、様々な文化の豊かな表現の贈りものに感謝します。特に希望や、悩み、不安を分かち合ってくれたメイさん、ジョバンニさん、マリーナさんの、3人に感謝します。わたしは皆さんの言葉に注意深く耳を傾けながら、それを心にとめました。

メイさんが語った人生の葛藤にわたしは強く打たれました。どうしたらいいのでしょうか。修道生活に入るべきか、それとも人々の助けになるために、もっと勉強した方がいいのでしょうか。これは一見、葛藤と思われますが、実はそうではないのです。なぜなら主が誰かを呼ばれる時、それが修道生活への召し出しにせよ、家庭の父親や母親への道、一般信徒への召し出しにせよ、いつも他者の善のためにお呼びになるからです。目的は同じなのです。神を礼拝し、他者に善を施すことです。では彼女はどうすべきでしょうか。多くの皆さんも自分に同じ質問をするのではないでしょうか。わたしも若い時、皆さんと同じように問いかけたものです。「わたしは一体どの道を選ぶべきだろうか」と。けれども、あなたが選ぶのではありません。主が選ぶべきです。イエスがあなたのために選ばれるのです。あなたはイエスに耳を傾け、そして尋ねなければなりません。「主よ、わたしは何をすべきでしょうか」と。これこそ若者がすべき祈りです。「主よ、あなたはわたしに何をお望みですか」。祈りと、真の友人たち、すなわち一般信徒や、司祭、シスター、司教や、教皇、教皇も良い勧めを与えることができるのですよ、これらの人々の勧めをもって、主が自分のために望んでおられる道を見つけることができるでしょう。

皆で一緒に祈りましょう。
「主よ、あなたはわたしに何をお望みですか」。
主が必ず皆さんの祈りに耳を傾けていると、わたしは確信しています。あなたの証しに感謝します。

メイさんはまた他のことについても語りました。殉教者や聖人たち、そして証人についてです。彼女の国、カンボジアに、わたしは郷愁と痛みを感じました。カンボジアにはまだ列聖された聖人はいません。しかし、実際はたくさんの聖人たちがいることを願います。この話に関しても彼女に感謝します。ローマに帰ったら、この件について早速、関係責任者に働きかけ、調査を進めるよう要請しましょう。本当にありがとう。

もう終わりの時間です。皆さん疲れたのではないですか。そうではないですか。それではまだ少し続けましょう。

今度はマリーナさんの質問に行きましょう。マリーナさんは、二つの考察と、幸福についての質問をしました。彼女は本当のことを言いました。幸福は買うことができません。幸福を買おうとしたら、すぐにその幸福が消え去っていくのに気がつくでしょう。買った幸福は、長続きしません。ただ愛の幸福、これだけが長続きするのです。

愛の道は単純です。神を愛し、隣人を愛し、あなたの近くにいる愛を必要とする人、多くのことを必要とする人々を愛することです。「しかし、それでわたしは神を愛していることになるのでしょうか」。ただ隣人を愛し、心の中に誰に対する憎しみも持たないなら、あなたは神を愛しているのです。これこそ、神を愛しているという確実な証拠です。

それからマリーナさんは一つの質問もしました。それは辛い質問であるとわたしも知っています。この質問をしてくれたことを感謝します。朝鮮半島の二つに分断された兄弟たちのことです。しかし、二つの朝鮮があるのでしょうか。そうではありません、一つの朝鮮半島があるだけです。二分された半島、二分された家族です。これは悲しいことです。この家族が一つになれるように、どう助ければよいのでしょうか。わたしは二つのことを提案します。最初の一つは勧告で、その次は希望です。

第一は勧告です。それは祈ること。北の兄弟たちのために祈ることです。「主よ、わたしたちは一つの家族です。どうぞ一致を助けてください。あなたにはそれができます。勝利者も敗北者もありません。一つの家族、兄弟たちがいるだけです」。今、皆さんに沈黙のうちに、二つの朝鮮の一致のために祈るよう招きます。
沈黙の中に祈りましょう。

そして、希望です。どのような希望でしょうか。いろいろな希望があります。しかし、一つ素晴らしい希望があります。朝鮮は一つです。一つの家族です。あなたたちは同じ言葉を話しています。家族の言葉です。あなたたちは同じ言葉を話す兄弟です。旧約聖書の中で、ヨゼフの兄弟たちが飢饉の際にエジプトに麦を買い付けに行った時、エジプトで兄弟ヨゼフを見つけました。どうして兄弟ヨゼフだと分かったのでしょうか。なぜならヨゼフは彼らが同じ言葉を話しているのに気づいたからです。皆さんも北朝鮮の兄弟たちのことを考えてください。彼らは同じ言葉を話しています。ここに人間的な希望があります。

少し前に素晴らしいものを見ました。放蕩息子の寸劇です。あの放蕩息子は出て行き、浪費し、すべてを使い果たしてしまいました。父親も家族もすべてを裏切りました。そしてある時、まったくの必要性から、恥ずかしくはあったのですが、家に帰ろうと決めました。父親にどのように赦しを請おうかと考えました。そして、こう考えました。「お父さん、わたしは罪を犯しました。良くないことをしました。あなたの息子ではなく、使用人として欲しいのです」。福音書は、父親は遠くから息子を見たと言っています。なぜ帰ってくる息子を見ることができたのでしょうか。それは毎日、息子が帰ってくるのを見ようとテラスに登っていたからです。父親は息子を抱き締めます。話させることもしません。赦ししを請う言葉すらも言わせません。そして、お祝いをします。息子の帰還祝いをしたのです。これは神のお好きなお祝いです。わたしたちが家に帰る時、わたしたちは神のもとに帰るのです。「父よ、わたしは罪人です」。父はあなたを待っています。そして、もっと大きなお祝いをするでしょう。なぜなら、イエスご自身も、戻ってくる罪びとのために、家に残っていた100人の義人のためよりも、もっと大きなお祝いが天では開かれると言っています。

わたしたちの人生に、何が待ち受けているか、誰も知りません。わたしたちはとんでもないことをする時があります。でも、どうか決して失望しないでください。いつもわたしたちを待ってくれる父がいます。「帰ること」「戻ること」。これが重要な言葉です。「父のもとに帰りましょう」。もし、わたしが大罪人であれば、なおのこと、大きな祝いをしてくれるでしょう。

司祭の皆さん。罪びとたちを抱き締め、憐れみ深くあってください。神は赦すことに、決して疲れることはありません。わたしたちを待つのに、決して疲れることはありません。このことを考えるとわたしは本当にうれしくなります。

わたしは皆さんに三つのことを勧めます。祈りと聖体と貧しい人々への奉仕です。

もう行かなければならない時が来ました。共に過ごしたこの時を神に感謝しましょう。わたしたちの母、聖母マリアがわたしたちを御子イエスのそばにいつもいさせてくださいますように。世界青年の日の創始者、聖ヨハネ・パウロ2世が天国からいつも皆さんを導いてくださいますように。皆さん一人ひとりを心から祝福します。わたしのためにもお祈りください。ありがとう。








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