2014-02-03 20:12:54

「奉献生活の日」:教皇「主の奉献は出会いの祝日」


教会の典礼暦によって2月2日、「主の奉献の祝日」が祝われた。この日にはカトリック教会の「奉献生活の日」が記念され、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、世界各国から集った多くの奉献生活者と共に荘厳ミサを捧げられた。

ミサの説教で、教皇は主の奉献の日を様々な「出会い」という観点から考察しつつ、次のように語られた。

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イエスの神殿への奉献の祝日は、また『出会いの祝日』とも呼ばれています。典礼において、その始めに「イエスはご自分の民に出会いに行かれる」と言われています。マリアとヨゼフが幼きイエスをエルサレムの神殿に連れて行った時、シメオンとアンナという二人の老人によって代表されるご自分の民とイエスは最初の出会いを持たれたのです。

その出会いはまた、神の民の歴史における出会いでもあったと言えましょう。それは若者たちと老人たちとの出会いでした。若者たちとはマリアとヨゼフで、年寄りたちは、いつも神殿に通っていた二人の人物、シメオンとアンナでした。

福音史家聖ルカが、彼らについて何を言い、どのように描写しているかを見てみましょう。
マリアとヨゼフについては4回も「彼らは主の掟を守ることを望んでいた」と繰り返しています。 (ルカ 2,22.23.24.27)。イエスの両親は、神の掟を守ることに大きな喜びを見出し、主の掟の中を歩むことを喜びとしていたのです。彼らは子供を授かったばかりの新婚の夫婦でした。二人とも掟を遵守する望みに生かされていました。

これは単なる外的なことでも、何かをきちんとしておこうということでもありませんでした。それは深く強い、そして喜びに満ちた内からの願望だったのです。詩編が歌っているように「あなたの教えの道の中にわたしの喜びはあり、 あなたの掟はわたしの楽しみ」(119,14.77) だったのです。

では、老人たちについて、聖ルカは何と言っているでしょうか。ルカは「彼らは聖霊に導かれていた」と再三強調しています。シメオンについては、彼は「義人であり、敬虔な者であり、イスラエルの慰めを待ち続けていた」と記しています。そしてまた「聖霊は彼の上にあった」とも言っています(2,25)。さらに、聖霊は彼に、「死ぬ前に救い主キリストを見ることができるであろう」と言い、シメオンは神殿に「聖霊に動かされて行った」とも記しています (27)。

アンナについては「女預言者」であったと言っています。すなわち神からの霊感を受け、いつも「断食と祈りによって神に仕え」神殿に留まっていたのです(37)。つまりこの二人の老人たちは生命に満ちていたのです。彼らは生命に満ちていました。なぜなら、聖霊に生かされ、その働きに従順で、その呼びかけにすぐに答える用意ができていたからです。

また、これは聖家族と二人の人物によって代表される、神の聖なる民との出会いでもありました。その中心にはイエスがいます。イエスこそがすべてを動かしているのです。彼こそがそれぞれを御父である神の家、神殿に引き付けているのです。

神の掟の遵守の喜びに満たされている若者たちと、聖霊の働きのゆえに喜びに満たされている老人たちとの出会いです。掟の遵守と預言との特別な出会いです。若者たちは掟の遵守者であり、老人たちは預言者です。よく注意して考えてみれば、掟の遵守は聖霊自身によって生かされています。また、預言は神の掟によって示された道に沿っています。これまでマリア以上に聖霊に満たされた者がいたでしょうか。マリア以上に聖霊の働きに従順な者がいるでしょうか。

この出会いの観点からキリストとの出会いとしての奉献生活を見てみましょう。
マリアとヨゼフに連れられてイエスがわたしたちのところに来てくださいます。聖霊に導かれたわたしたちも彼のもとに参ります。その中心にはいつもイエスがいます。イエスがすべてを動かし、そして、イエスに出会い、イエスを知り、受けいれ、抱きしめることの出来る場所、教会、神殿にイエスがわたしたちを引き付けるのです。

イエスは各修道会の創立カリスマを通して、教会の中でわたしたちに出会いに来られます。このようにわたしたちの召命について考えるのは、素晴らしいことです。キリストとわたしたちの出会いは、教会の中でその証人たちのカリスマを通して形を取りました。この事実は常にわたしたちを驚かせ、感謝させます。

奉献生活においても、若者たちと老人たちの出会い、掟の遵守と預言の出会いが生きています。決して対立する二つの要素ではありません。その双方を聖霊の働きに任せましょう。そのしるしは喜びです。掟を守る喜び、生活の規律の中を歩む喜び、そして聖霊に導かれているという喜び、決して堅くならず、開き、広い世界に行くよう、わたしたちを招き、導き、いつもわたしたちに語りかけておられる神の声に心を開くようにしましょう。

若い人たちにその知恵を伝達するのは、年をとった人たちにとってもよいことです。そして、この老人たちの知恵と経験の遺産を受け取ることは、若者たちにとって有益なことです。博物館の中に仕舞いこむのではなく、広く世界にもたらしましょう。それぞれの修道家族と全教会のために、その宝を惜しまず運び出しましょう。

この神秘、この出会いの神秘の恵みが、わたしたちを照らし、我々の歩みにおいてわたしたちを力づけてくださいますように。アーメン。









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