2013-10-21 18:15:54

「絶えず祈り続けよう」教皇、日曜の集いで


教皇フランシスコは、バチカンで20日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、この日のミサで朗読されたルカ福音書の「やもめと裁判官」のたとえ(18,1-8)を取り上げ、諦めずに絶えず祈ることの大切さを説かれた。

このたとえでは、一人のやもめが、神も人をも畏れない裁判官に裁きを求め続け、裁判官はその煩さに根負けしてとうとう彼女のために裁判をすることになる。イエスは言う。この不正な裁判官でさえ、やもめに説得されたのだから、「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行なわずに、彼らをいつまでも放っておかれることがあろうか」と。

神に「昼も夜も叫び求める」という祈りのイメージに心を打たれると教皇は述べながら、神に粘り強く求めることはどういう意味があるのかと問われた。

忍耐強く祈るよう神が招くのは、わたしたちの必要を神が知らないからでも、神がわたしたちに耳を傾けないからでもなく、むしろその反対に、神は常に愛をもって耳を傾け、わたしたちのすべてを知っておられると教皇は強調。

「わたしたちの日常の歩みにおける悪との戦いは長く困難なものであるが、神はわたしたちのすぐそばにいてくださる。その神の存在、憐れみ、支えを感じさせる祈りは、わたしたちを守る手段である」、「神への信仰はわたしたちの力、祈りは信仰の表現である」と話された。

福音書のやもめから、常に疲れを知らず祈ることを学び、いつどんな時も神と共に戦い、悪に善をもって打ち勝つことを、祈りという信仰の表現を通して思い起こしましょうと教皇は呼びかけられた。

この日はカトリック教会の「世界宣教の日」が記念された。教会の使命とはイエスが世界に放った信仰の炎、愛と憐れみである神への信仰を広めることにあると教皇は述べ、世界の各地で静かに働くすべての宣教者たちのために祈られた。

また、教皇は前日ハンガリーのブタペストでとり行われたステファノ・サンドルの列福式に言及。サレジオ会の協力者会会員として青少年の育成や職業教育に奉仕し、共産政権の迫害に勇敢に立ち向かい、39歳で殉教した同福者を思い起こされた。

さらに教皇は、フィリピンの地震被災者のために祈られると共に、教皇庁文化評議会主催のスポーツ行事の参加者たちに「信仰者とは精神の競技者です」と励ましをおくられた。










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