2013-09-08 17:40:56

シリアと世界の平和のための祈り、バチカンで、教皇「暴力と戦争は新たなカインを生み出す」


バチカンで7日午後、シリアと世界の平和のための祈りの集いが開かれた。

教皇フランシスコは、9月8日に典礼暦で「聖マリアの誕生」の祝日を迎えるに当たり、その前日を平和祈願の特別な「祈りと断食の日」として呼びかけ、カトリック信徒をはじめ、他のキリスト教や諸宗教の人々、また平和を願うすべての善意の人々の広い参加を願われていた。

この夜、聖ペトロ広場で行われた祈祷集会には、およそ10万人が参加。会場にはローマの聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)より、聖母画「サルス・ポプリ・ロマーニ」がもたらされた。参加者らはロザリオの祈りや連祷、聖体礼拝を通して、4時間以上にわたり平和について祈り、黙想した。

教皇は祈りの間に行われた講話で「戦争はあってはなりません」「戦争は平和の道ではありえません」と強く訴えられた。

「創世記」第1章、神による天地創造の場面で繰り返される「神はこれを見て良しとされた」(創世記1,12.18.21.25)という言葉に注目された教皇は、このメッセージがわたしたちに言おうとしていることは何なのかと問われた。

それは神のみ心にとって、わたしたちのこの世界は「良いもの」であり、「調和と平和の家」であるということと教皇は指摘。すべての被造物が調和のうちに創られている中で、人類は一つの家族として、互いに愛し合い、善を望み合うべきと述べられた。

しかし、この世界は神とわたしたちが望んでいるものだろうかと問いながら、教皇は人間が美や善を置き去りにして、エゴイズムに閉じこもり、暴力・分裂・対立・戦争を引き起こしている姿を見つめられた。

今日、世界で見られる暴力や紛争、多くの人々の苦しみを前に、教皇は「すべての暴力、戦争によって、わたしたちは兄弟殺しのカインを再び生み出すことになる」「今も、わたしたちは偶像や利己主義、自分たちの利益に導かれて、兄弟に手を上げる態度を続けている」と警告。

「わたしたちは武器を整えたが、わたしたちの良心は眠り込んでしまった。わたしたちは正当化の言い訳をより洗練させ、まるで普通のことであるかのように、破壊と苦しみと死を撒き散らしている」「暴力と戦争は死をもたらすだけの、死の言語、それらが話すのは死だけである」と説かれた。

ではわたしたちが平和の道を行くこと、苦しみと死の連鎖を絶つことは可能なのか、教皇はこう問いながら、「そう、それは皆に可能です」と力強く述べられた。

一人ひとりが良心を深く省み、自分をしばる利益から抜け出し、他人への無関心を乗り越え、死の論理に打ち勝ち、対話と和解に向けて開く必要を教皇は示しつつ、「兄弟の苦しみ、子どもたちの苦しみを見て、あなたの手を下ろしなさい。武器の音を静めなさい」と呼びかけられた。

「赦し・対話・和解」を「平和の言葉」として掲げられた教皇は、シリア、中東、全世界の平和のために祈り、平和のために働き、和解と平和をもたらす人となろうと、参加者らを励まされた。








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