2013-05-22 15:56:31

5月15日 一般謁見教皇カテケシス
「聖霊は真理をもたらす」


親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。
今日は教会と私たち一人ひとりを真理へと導く聖霊の働きについて考察したいと思います。「真理の霊」そのものであるイエス自身も弟子たちに言っています。聖霊は「あなたたちを全ての真理に導くだろう」 (Gv 16,13)
今、私たちは真理に関して懐疑的な時代を生きています。何も決定的なものはなく私たちが望んでいることまた皆が同意することが真理なのだとする相対主義について ベネディクト16世はしばしば語っていました。
今、次のような疑問がわきあがります。「本当に真理は存在するのでしょうか」「真理とはなんなんでしょうか」。「真理を知ることが出来るのでしょうか」。「真理を見つけることは出来るのでしょうか」。
イエスがご自分の使命の深い意味を表した時のローマ総督ポンシオ・ピラトのあの問いが思い起こされます。「真理とは何ですか」(Gv 18,37.38). ピラトは自分自身の目の前にいる「真理」を理解できません。イエスの中に神の顔、真理の顔を見ることが出来ないのです。 しかし、イエスはまさしくこれ「真理」なのです。時が満ちた時、「人となられ」 (Gv 1,1.14), 私たちがそれを知るようにと私たちの間に来られた真理そのものです。真理とはあたかも物のように手でつかめるものではありません。真理とは出会うものです。真理とは所有するものではなく、一人の人格との出会いです。
しかし、誰がイエスが「真理の言葉」「父なる神の御一人子」であるとわからせてくれるのでしょうか。聖パウロは「誰も聖霊の御働きのもとでなければイエスは主であるとは言えません」と教えています。(1Cor 12,3).真理を私たちに認めさせてくれるのは復活されたキリストの賜物である聖霊そのものです。イエスは聖霊を「慰め主」と定義しています。すなわち真理を知るという歩みにおいて私たちを支えるために私たちの傍らにいて「私たちを助けに来てくれるお方」のことです。
最後の晩餐の時、イエスは聖霊がイエスの言葉を思い起こさせ全てのことを教えてくれるだろうと弟子たちに保証しました。
真理に導くために教会と私たちの生活において聖霊はどのような働きをするのでしょうか。先ず第一に聖霊はイエスが語られたことばを信者の心の中に思い起こさせ刻み付けます。旧約の預言者たちが言っているように、まさしくイエスのこれらの言葉を通して、神の律法は私たちの心の中に書き付けられ私たちの中であらゆる選択および日常生活での行動の価値基準となり 、生活そのものの原理となるのです。ここでエゼキエルの偉大な預言が実現します。「あなたたちをその全ての汚れと偶像から清め、新しい心を与え、あなたたちの中に新しい霊を置くだろう。私の霊をあなたたちの中に据え、あなたたちを私の法に従って生きさせ、あなたたちに私の掟を守らせ実行させるだろう」 。
事実、私たちの全ての行動は私たち自身の内部から生まれ出て来るものです。ですからまさしく心が神に回心していなければなりません。聖霊は心を変革することが出来るのです。もし私たちが聖霊に心を開くなら。
聖霊は、イエスが約束している通り、私たちを「全ての真理」に導きます。私たちを真理の充満であるイエスとの出会いに導くだけではなく、真理の「中にまで」も導き入れます。すなわち神に関することの知識を与ええることによって常にイエスとのより深い交わりの中にわたしたちを入らせる野です。 私たちにはこれをを自分の力で実現することは出来ません。
もしも神が私たちを内的に照らしてくださらないなら、私たちのキリスト教徒としての存在は薄っぺらなままに留まります。
教会の伝承は真理の霊は私たちの心の中にあの「信仰のセンス」を引きおこし働くのだと教えています。第二バチカン公会議が教えているようにこの「信仰のセンス」を通して神の民は教会の教導職の指導のもとで伝承された信仰を間違いなく受け入れ、正しい判断をもってますます深め具体的な生活の中に適応していきます。
自分自身に問いただしてみましょう。私は聖霊の働きに自分自身を開いているでしょうか。私を照らしてくれるよう、神に閑すすることにもっと敏感になれるよう聖霊に祈っているでしょうか。
これこそ私たちが毎日しなければならない祈りです。「聖霊よ、私の心を神のみことばに開いてください。私の心がいつもよく開かれていますように、私の心を毎日神の美しさに開いてください」。
皆さんに一つの質問したいと思います。あなたたちの中の何人が毎日聖霊に祈っていますか。おそらく少ないでしょう。
イエスへ私たちの心を開いてくれるよう聖霊に毎日祈らなければなりません。
「これら全てのことを心に留め思い巡らしていた」という聖母マリアに思いをはせてみましょう。
みことばや信仰の真理をを受け入れることは聖霊の働きの下で実現聖母マリアの神のみ旨への承諾「はい」、あの時から完全に変容された自分自身の生活の中に神の御子を受け入れることへの完全な同意を私たちも生きる必要があります。
聖霊を通して御父と御子は私たちと共に住まわれ、私たちは神の中に神によって生きるようになるのです。しかし、本当に私たちの生活は神によって生かされているでしょうか。どれほど多くのことを神より優先していることでしょう。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、聖霊が私たちを私たちの唯一の主である神の真理の中に導き 入れてくださるために聖霊の光に照らされる必要があります。聖書を読み黙想しながら、公教要理を勉強しながら、しばしば秘跡に近づきながらこの信仰年に当たって私はキリスト、および信仰の真理についてよりよく知るために何か具体的に前進しただろうか自問してみましょう。しかし、同時に信仰が私たちの生活全体を動かすために現に自分はどんなことをしているかも自問してみましょう。ある時だけ、ある状況の中だけ、あるいは、ある選択をする時だけというような「一時的」にキリスト教徒であることは出来ません。キリスト教徒はどんな時にもキリスト教徒なければなりません。全てをかけてキリスト教徒でなければならないのです。
聖霊が私たちに教え、私たちに与えるキリストの真理は私たちの毎日の生活にいつも全てにおいて関わりを持っています。ですからキリストの弟子の歩みにおいて私たちを導いてくださるようにもっとしばしば祈り求めましょう。毎日祈りましょう。皆さんにこの提案をします。 毎日聖霊に祈りましょう。聖霊は私たちをイエス・キリストに近づけてくださるでしょう。








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