2013-03-30 17:20:38

聖金曜日:「十字架の道行き」説教(2013.3.29)


「この深い祈りの時に、多くの皆さんが参加してくださったことに感謝します。また、特に病気の方やお年寄りをはじめ、通信メディアを通してわたしたちと一致してくれたすべての人々に感謝します。

多くの言葉を費やしたくはありません。この夜、唯一残るべき言葉、それは「十字架」そのものです。「イエスの十字架」、この御言葉をもって、神は悪の世界に答えられたのです。

時に、神は悪に答えることなく、沈黙を守っているように思われることがあります。しかし実は、神は話されたのです。神は答えられました。神の答えは、イエスの十字架だったのです。それは、愛、憐れみ、赦しの御言葉です。また、それは裁きでもあります。神はわたしたちを愛しながら、裁かれます。これを忘れないでください。神はわたしたちを慈しみながら、裁かれるのです。

もし、わたしが神の愛を受け入れるならば、わたしは救われ、それを拒むならば、罪に定められます。それは神によるのではありません、そうさせるのは自分です。なぜなら、神は人を罪に定められることなく、ただ愛され、救われるのみだからです。

親愛なる兄弟の皆さん、十字架の言葉は、わたしたちの中、そのまわりに働く悪の力に対する、キリスト者の答えでもあります。キリスト者は悪に善をもって答え、イエスのように、十字架を背負わなければなりません。

今晩、わたしたちはレバノンのわたしたちの兄弟たちの証しを聞きました。これらの素晴らしい観想と祈りを書いたのは彼らです。この黙想の準備と、特に皆さんがわたしたちに与えてくださった証しに、心から感謝します。教皇ベネディクト16世がレバノンを訪問された際、わたしたちはかの地のキリスト者たちの一致と、イスラム教や他の宗教の多くの人々との友情の素晴らしさやその力を目にすることができました。これは中東と世界全体にとっての希望のしるしです。

では、毎日の生活における十字架の道行きを続けてまいりましょう。十字架の道を一緒に進んでいきましょう。この愛と赦しの御言葉を心に留めながら歩んでいきましょう。イエスの復活を待ちながら歩いていきましょう。イエスはわたしたちを非常に愛しておられます。イエスは全部が愛なのです。」








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