2012-11-19 18:46:26

「キリストとみ言葉をわたしたちの中心に据える」教皇、日曜の集い


教皇ベネディクト16世は、バチカンで18日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、この日のミサで朗読されたマルコ福音書(Mc 13,24-32)を取り上げられた。

この箇所には、イエスがエルサレムの神殿を出た後にオリーブ山で弟子たちに語った、終末のしるしをめぐる説教の後半部分が記される。

この箇所でイエスは、終末の苦難の後で、人間の想像を超える出来事が起きることを、旧約聖書の表現を用いて説明しつつ、それと共に人の子が栄光を帯びてやって来ることを説いている。

「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを人々は見るだろう」という言葉をもって、イエスがここで自分自身を新しい中心として提示していることに教皇は注目。イエスご自身を指す「人の子」は、現在と未来をつなぎ、旧約聖書の預言者たちの言葉は、神に聖別された人、ナザレのイエスの中にようやくその中心を見つけたと、話された。

さらに、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」というイエスの言葉を観想するよう招かれた教皇は、すべては過ぎ去っても、神のみ言葉は変わらず、そのみ言葉を前に、わたしたち一人ひとりは自分の言動に責任を持たなければならず、それによって裁かれることになるとも話された。

今日のこの時代も、残念ながら自然災害はもとより、戦争や暴力さえもなくならないと述べた教皇は、わたしたちもまた相対主義が広がる中で、自分たちの生活と希望のために確固たる基礎を持たなければならないと強調。わたしたちがキリストご自身とそのみ言葉を自分たちの生活の中心に据えることができるようにと、聖母マリアの取次ぎを祈られた。

教皇は、巡礼者たちへの挨拶で、前日17日、アルゼンチンのペルガミーノで、マリア・クレセンシア・ペレス修道女(1897-1932)の列福式がとり行われたことを報告。信仰によって育まれた福音的優しさの模範として、マリア・クレセンシア修道女を得たことを神に感謝しましょうと、列福の喜びを述べられた。








All the contents on this site are copyrighted ©.