2012-10-04 18:50:31

教皇、ロレートへ巡礼、世界と人類の平和、教会の歩みを聖母の保護に託す


教皇ベネディクト16世は、4日、イタリア中部マルケ州ロレートの聖母巡礼聖堂を訪問、信者と共にミサを捧げられた。

ロレートはアドリア海を見下ろす小高い丘の上の町。イタリアの聖母巡礼地として名高いロレートは、ナザレのおとめマリアが暮らし、受胎告知を受けた場所とされる家「サンタ・カーサ」を内部に包み込むように建てられた重厚な大聖堂と、ロッジャ(回廊)に囲まれた美しい広場、それに連なる門前町から構成される。

ロレートの巡礼地としての歴史は、1294年、この地にナザレのマリアの家族の住居といわれる家が聖地からもたらされたことにさかのぼる。この石造りの小さな家は、伝承によれば、天使によってアドリア海沿岸ロレートの丘の公道の上に運ばれた。この家「サンタ・カーサ(聖なる家)」は多くの巡礼者をひきつけることになり、15世紀から16世紀にかけて大聖堂が建築され、現在の形が整えられた。

巡礼地となってから今日まで7世紀の間に、少なくとも12人の教皇がロレートを公式に訪問している。イグナチオ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、カルロ・ボロメオ、リジューのテレーズ、マキシミリアノ・コルベなど多くの聖人たちもこの地を巡礼した。また、福者中浦ジュリアンら日本の天正遣欧使節もロレートの地を踏んでいる。

ベネディクト16世が登位後、ロレートを訪問するのは、2007年以来、2回目となる。今回の訪問は、この日からちょうど50年前に行われた福者教皇ヨハネ23世のロレート巡礼を思い起こし、公会議から半世紀たった現代の教会の歩みを再び聖母の保護に託すことを目的としている。

福者ヨハネ23世(在位1958-1963)は、第2バチカン公会議の開幕(1962年10月11日)の1週間前にあたる1962年10月4日に、ロレートを巡礼。公会議が恵み多いものとなるように聖母の取次ぎを祈った。

ベネディクト16世もまたこの巡礼で、公会議開催50周年を機に行なわれる「信仰年」と「新しい福音宣教をめぐるシノドス(世界代表司教会議)」の実りを祈られた。

この朝、ロレートに到着された教皇は、まず巡礼聖堂内の「サンタ・カーサ」に入られ、祭壇前で祈りの時を持たれた。

広場で行われたミサには、およそ1万人が参列。巡礼者の町は教皇を迎えて特別な喜びと活気に溢れた。

ミサの説教で教皇は、ここロレートは「信じた」ゆえに「幸い」である方(ルカ1,45)、聖母マリアの信仰の学び舎であり、この大聖堂に保管される簡素な家は、天使のお告げにマリアが「はい」と答えたことによって、御言葉が人となられ、わたしたちの間に住まわれた、その深遠な「受肉の神秘」を観想させる場所であると話された。

第2バチカン公会議の目的は、キリストの受肉と贖いからほとばしる光を、社会生活のあらゆる形において、より広げることにあったと教皇は振り返り、この招きは今日の社会においてますます力強く響いていると述べられた。

経済のみならず多方面に及ぶ現代の危機において、神の御子の受肉は、人間が神にとってどれほど大切であるか、また人間にとって神がいかに重要であるかを示していると教皇は強調。

神無しでは、人間はそのエゴイズムを連帯や愛に優先させ、物質的なことを精神価値に、「持つ」ことを「存在する」ことに勝るものとしてしまうと警告された。

「人間が人間に再び戻るためには、神に戻らなくてはなりません」と教皇は説き、神と共にいることで、人は危機の中にも希望を持つことができ、神の御子の受肉は、神はわたしたちの中に入られ、わたしたちはひとりではないことを教えてくれると話された。

「神が住むところは、すべての人にとって『家』であり、キリストが住むところは誰もが疎外されません」「この世においてわたしたちに『家』を与えてくれるのは信仰です。そこでわたしたちは一つの家族、兄弟姉妹となるのです」とも教皇は話された。

教皇はこの巡礼が「生きた福音書」と言われるアッシジの聖フランシスコの記念日(10月4日)に行われたことにも意味を見出されつつ、多くの困難を抱える現代の世界や家族・若者、そして愛と連帯を必要とする苦しむすべての人々に平安があるように、そしてこの「信仰年」が教会にとって特別な恵みの時であるように、聖母マリアの保護と取次ぎを祈られた。









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