2012-08-29 18:55:48

「キリストへの愛において妥協しない」教皇、一般謁見で、洗礼者聖ヨハネをテーマに


教皇ベネディクト16世は、29日、滞在先のカステルガンドルフォで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日、カトリック教会の典礼暦は、「洗礼者聖ヨハネの殉教」を記念した。謁見中のカテケーシスで祈りをテーマとした考察を継続中の教皇は、洗礼者聖ヨハネの生涯と、その使命において祈りが果たした重要性を振り返られた。

典礼暦の殉教者の中で、洗礼者ヨハネだけが唯一、その誕生(6月24日)と殉教(8月29日)の両方を記念されていることを教皇は紹介。洗礼者聖ヨハネに対する古くからの深い崇敬に言及された。

福音書で、聖ヨハネはイエスとの関係においてその役割を際立たせており、そこにはヨハネの誕生、荒れ野での生活、人々への説教、殉教が詳しく語られている。

洗礼者聖ヨハネは、ティベリウス帝の治世下、紀元27~28年に説教活動を始めた。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」(ルカ3,4)というヨハネの説教は、人々の根本からの悔い改めを呼びかけるものであった。

しかし、ヨハネは回心を説くにとどまらず、イエスを「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1,29)として認め、深い謙遜をもって、イエスを神から遣わされた真の存在として示した。一方でヨハネは、キリストの存在が大きくなり、人々がキリストに聞き、従うようになるように、自分自身は脇に退いた。そして最後に、彼は神の掟への忠実を血をもって証し、その使命を全うした。

洗礼者ヨハネの偉大な生涯をこうして振り返った教皇は、ヨハネの殉教、権力者への抵抗、神とイエスのために捧げ尽くした言動一致における力はどこから来たのかと問い、それは神との絆、祈りから来るものであったと述べられた。

高齢の両親、ザカリアとエリザベトの長年の祈りに対する恵みとして生まれたヨハネは、誕生時にザカリアの神への賛歌(ベネディクトゥス)に迎えられたように、常に祈りと結びついた存在であったと教皇は指摘された。

ヨハネはその生涯を通じて神との関係を育み、特に荒れ野の生活においてそれを一層深めた。彼は神と常に触れ合う祈りの人であっただけでなく、神との関係を深めるための導き手、指導者でもあった。実際、イエスが「主の祈り」を弟子たちに伝授した際に、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11,1)と一人の弟子が頼んでいることに教皇は注目された。

教皇は、ヨハネの殉教は、キリストと、御言葉、真理への愛に妥協があってはならないことをわたしたちに教えてくれると強調。

キリスト教生活とは、福音への日常的な忠実の「殉教者」となることを要求し、キリストを自分の中で育み、キリストに自分の考えや行動を導かせるための勇気を必要とするが、それは神との固い絆があってこそ可能なことと話された。

祈りは時間の無駄遣いでも、使徒的活動をはじめ、様々な活動の時間を奪うものでもないと述べた教皇は、むしろそれとは反対に、忠実で信頼に満ちた祈りの生活を持ってこそ、神ご自身がわたしたちに困難を乗り越え、しあわせに生きるための力を与えてくださると、説かれた。








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