2012-07-20 18:17:14

教皇のことば特集:若者たちへのことば 「堅信準備の青少年たちとの集いの講話」(ミラノ・メアッツァ・スタジアム2012年6月2日)


親愛なる少年少女の皆さん

皆さんの街、ミラノを公式訪問し、こうして皆さんとお会いできたことをとてもうれしく思います。

皆さんは、今、堅信の秘跡を受けるための準備をしていますが、中には、堅信の秘跡を最近受けたばかりの人もいます。この一年間、皆さんが「聖霊のなせる業」というテーマの大変素晴らしい準備コースを受けてきたことをわたしは知っています。皆さんはこの準備を通して、聖霊が皆さんの人生の中で、またイエス・キリストの福音に「はい」と答えるすべての人々の中で実現した偉大なことを知り、学びました。

皆さんは、第一番目の秘跡、キリスト教生活への入り口である、洗礼の恵みの偉大さを再発見しました。皆さんはこの洗礼の秘跡を、あなたがたの名の下に「信仰宣言」を唱え、皆さんを信仰の中に教育するために尽くしてきたご両親や代父母のおかげで受けることができました。これは皆さんにとって、またわたしにとっても、何年も前にいただいた偉大なお恵みです。聖霊によって、水の中から生まれ変わったあの時から、皆さんは神の子たちの家族の一員となり、キリスト教徒、教会のメンバーとなったのです。

今、皆さんは成長し、神に自分で「はい」と答えることができるようになりました。それは自由な、自覚のある「はい」です。堅信の秘跡は、洗礼の秘跡を確固たるものとし、皆さんの上に聖霊を豊かに注ぎます。人生の歩みの中でイエスの忠実で勇敢な証人となれるよう助けてくれるその偉大な賜物を、今、皆さん自身が、感謝に満ちて受け入れることができます。キリスト教徒として皆さんを育て、福音に生き、共同体の活動的な一員であることを可能にしてくれる聖霊の賜物は、実際素晴らしいものです。

ここで、イザヤ預言者が、そしてイエスがすでに語っている、聖霊の賜物を思い起こしてみましょう。

第1の賜物は「上智」です。この賜物は、主がどれほど善良で偉大であるかを理解させ、あなたがたがイエスの言う「地の塩」となれるよう、皆さんの生活を味わい深いものとしてくれます。

第2の賜物は「聡明」です。この恵みによって、皆さんは神の御言葉の深さと信仰の真理を理解できるようになります。

第3の賜物は「賢慮」です。この賜物は、あなたたち一人ひとりの人生における神のご計画を発見できるよう皆さんを導きます。

第4の賜物は「剛毅」です。この賜物は、悪の誘惑に打ち勝ち、たとえ犠牲が必要な時でも、常に善を行うことを助けてくれます。

第5の賜物は「知識」です。これは大学で学ぶような専門的な知識という意味ではなく、もっと深い意味での知識です。それは被造物の中に神のしるしを認めることを教えてくれます。神がいつもどのように話され、特に自分にいかに話しかけられるかを理解させ、そして、毎日の仕事を福音で養うことを教えてくれる恵みです。

第6の賜物は「孝愛」です。この恵みは、神から愛された子としての信頼と愛を込めて、毎日神に祈るために、天におられる御父への愛の炎を心の中に生き生きと保たせます。神はおられ、神はわたしをご存知であり、わたしが神のご計画に応えるのを待っておられるという、世界とわたしの人生の基本的な現実を思い出させてくれます。

そして最後、7つ目は神の「敬畏」の賜物です。これは単なる「恐れ」のことではありません。それは神に対する深い尊敬です。今日、世界を襲っているすべての危機を含めて、これらをわたしたちの人生のため、善のために取り計らう神のご計画、そのご意志に対する尊敬です。

親愛なる少年少女の皆さん、キリスト教の全人生は、山道を登るような歩みです。ですから、当然、いつも易しいというわけではありません。けれども、イエスと共に山に登るのは大変素晴らしいことです。聖霊のこれらの素晴らしい賜物によって、イエスとの友情はますます真実なもの、緊密なものになるでしょう。

イエスとの友情は、ご聖体の秘跡によって絶えず養われます。この秘跡においてわたしたちはイエスの御身体と御血をいただくのです。全共同体が、喜びをもって忠実に祈り、神の御言葉に耳を傾け、感謝のいけにえに参与する主日のミサに、預かることを皆さんに勧めます。

また、痛悔の秘跡、告解にも近づいてください。これはわたしたちの罪を赦し、善を行うために、わたしたちを助けてくれる主との出会いです。恵みを受け、再び始めること、自分が今、自由であり、再び始めることができ、すべてが赦されたという事実を知ることは、人生における偉大な恵みです。

毎日の個人的な祈りも怠らないようにしてください。主と対話することを学び、主と皆さんの喜びや心配を親しく語ってください。そして、皆さんの歩みのために、光と支えを願ってください。

親愛なる友人の皆さん、あなたがたは恵まれています。なぜなら、皆さんの小教区にはオラトリオがあるからです。これはミラノ教区にとって大きな恵みです。オラトリオとは、その言葉通り、祈る場所です。けれども、これはまた喜びと信仰の中に共に集う場、カテケーシスを学び、遊び、奉仕活動や、他の様々な行事を組織する場でもあります。いわば、生きることを学ぶ場でもあるのです。主に従うこと、主を知ることにおいて、ますます成熟するために、オラトリオに熱心に通ってください。聖霊の7つの賜物は、まさしく真理の中に神と共なる生活が実現される、この共同体の中で成長するのです。

家庭においては、両親に従順であってください。イエスが神の前でも人の前でも知恵と恵みに成長したように、あなたたちが成長するために両親が与える勧めに耳を傾けてください。

最後に、皆さんは怠け者ではなく、勤勉な青年であってください。将来のために、特に勉強において勤勉であってください。成長し、未来を準備するためにも、それは皆さんにとって大きな義務であり、よい機会でもあります。

自分自身を中心にしようとする誘惑に打ち勝ち、他人のために尽くす人になってください。なぜなら、自己中心主義は真の喜びの敵だからです。もし皆さんが今からイエスの共同体の一員となる素晴らしさを味わいたいなら、あなたたちもそれを成長させるために貢献することができます。そして他の人々をも仲間になるよう招くことができるでしょう。

主は毎日、今日もまたここで皆さんを偉大なことのために招いています。主が皆さんに勧めることにいつも心を開いてください。そして、もし皆さんを司祭職または修道生活を通して主に従うよう招くなら、その招きに「ノー」とは答えないでください。それは間違った怠慢です。イエスは全生涯にわたって皆さんの心を満たしてくれるでしょう。

親愛なる少年少女の皆さん、これを今また強調したいと思います。高い理想を持ちなさい。ただ一部の人だけではなく、すべての人が高い理想に到達できるのです。皆さん、聖人になってください。皆さんの年代で聖人になるなど可能だろうかと、疑問に思うかもしれません。わたしは皆さんにはっきりとお答えします。「もちろんそれは可能です」。皆さんの街、ミラノの偉大な聖人、聖アンブロジオも同じことを言っています。彼はこう書いています。「どの年代もキリストのためには熟しています」 (De virginitate, 40)。

それは、特に皆さんと同年配の聖人たち、ドメニコ・サビオや、マリア・ゴレッティが証ししているとおりです。聖性とは何か特別なことではなく、キリスト者が歩むべき、まったく通常の道です。この道は限られた人々のためではなく、すべての人に開かれた道なのです。もちろん、わたしたちが手を差し伸べ、心を開くならば、わたしたちに決して欠けることのない聖霊の光と力によって可能なのです。

さらに、わたしたちの母の導きによってもそれは可能です。わたしたちの母とは一体誰でしょう。それはイエスの母マリアです。イエスは十字架上で亡くなられる前に、わたしたちすべてを聖母に託されました。皆さんが、人生の忠実で偉大な友、聖母の息子イエスに答える「はい」の素晴らしさを、聖母マリアがいつも守り続けてくださいますように。 アーメン。








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