2011-10-06 18:32:44

「善き羊飼いである主に信頼して従う」詩編23番を考察、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで5日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで、教皇は祈りをめぐる考察として、旧約聖書・詩編から第23番を取り上げられた。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」という言葉で始まるこの美しい祈りは、多くの人から親しまれ愛されている。

祈りの中で主に向かい合うには、神を善き方として認識すると共に、常に徹底した信頼の態度が必要と教皇は述べつつ、主は自分の羊飼いであるがゆえに、自分は主に導かれ、あらゆる危険から守られているという、平安に満ちた確信があふれるこの詩編を深く観想された。

教皇は、この詩編が髣髴させる放牧生活の風景に人々を招きながら、羊飼いと羊の群れとの間にある相互の信頼関係、自分の羊の一匹、一匹をよく知り、大切なものとして世話をし、危険から守り、その健やかさを育む羊飼いと、そのもとで安心して生きる羊たちの親しい絆を示された。

同詩編で羊は青草や水のほとりに導かれるが、詩編に描かれる放牧環境は、大方は焼け付く太陽にさらされた乾いた土地であることに教皇は言及。そのために羊の生命に必要な水やオアシスを見つけ、羊たちに再び歩く力を与える羊飼いの愛情がいっそう浮かび上がると指摘された。

主である羊飼いは、虚無の砂漠においても羊に正しい道を示し、暗い死の影の谷を行く時も、共にいて、その親しい杖の音をもって羊たちを導くと述べた教皇は、私たちもまた人生の難しく険しい道のりや、精神的な砂漠を、善き羊飼いキリストへの信頼に支えられて歩んでいこうと説かれた。

詩編の後半は、これまでの砂漠から、主が招く天幕の中へと場面が移り、ここでも主は食卓を整え、注がれる香油やあふれる杯で詩編作者をもてなす。

教皇はここにも食物や、油、ぶどう酒という豊かな象徴を指摘され、キリストを信じる者にとって詩編作者はまさに私たち自身であると述べられた。

同詩編の終わりに、旅人は再び出発するが、神の保護はその旅路全体に及ぶと共に、その歩みは、主の家に帰り、そこにとどまるという、主の神殿への巡礼という新しい意味を帯びてくると教皇は説明。

失った羊を探し出し、命に至る道を示し、その光で暗い谷間を照らし、ご自分の御血と御からだをもって食卓を整えてくださる善き羊飼いイエス・キリストによって、この詩編は最終的な完成を見ることになったと述べた教皇は、主に信頼し、この困難な時代にあっても、その示された道を従順に歩いていこうと呼びかけられた。








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