2011-10-03 18:43:09

「神のぶどう園で働くことの責任」教皇、日曜正午の集い


教皇ベネディクト16世は、バチカンで2日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

説教で教皇は、この日のミサで朗読されたマタイ福音書の「ぶどう園と農夫」のたとえ(マタイ21,33-43)を考察、神のぶどう園で働くように呼ばれた者たちの大きな責任を強調された。

イエスが語るこのたとえでは、ある主人がそこで働き収穫するようにと、農夫たちに自分のぶどう園を託す。

教皇は、ぶどう園の主人とは神ご自身、ぶどう園とは神の民および神から贈られた命を象徴すると説明された。

神はご自分の友である人間のために計画を持っておいでだが、残念ながら、それに対する人間の答えは、しばしば拒絶という形で表される不忠実に終わると教皇は指摘。

実際、ぶどう園の主人が自分の息子を送ると、農夫たちは息子を捕まえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまうが(マタイ21,37.39)、教皇はこのエピソードを示しながら、人間は傲慢と利己主義によって神の最も大切な宝、すなわち神の御ひとり子までをも認め受け入れることを拒んでしまうと話された。

神は私たちの手の中にご自身を差し出され、弱さという計り知れない神秘を受け入れると共に、愛の計画への忠実さにおいてその全能を表されるが、悪い人々に対する正当な罰をも用意されると、教皇はこのたとえを解説。

隅の親石であるキリストに固く基礎を置き、ぶどうの木につながっていなければ自分だけで実を結ぶことのできない枝のように、キリストにしっかりと留まるよう信者らを招きながら、「キリストにおいて、キリストのために、キリストと共にのみ、教会、すなわち新しい契約の民はつくられる」と説かれた。

この日、教会暦は守護の天使を記念したが、教皇はこの集いで、人間の命の始まりから死の時に至るまで絶えず私たちを保護する守護の天使の働きに言及。主はいつも人類の歴史の中で働いておられ、主の天使たちという特別な存在をも通して私たちを見守ってくださると話された。

また、この10月最初の日曜日、南イタリア・ポンペイの聖母巡礼聖堂はじめ世界中で、ロザリオの聖母に祈りが捧げられた。教皇もまた、悪が打ち負かされ、神の善良さが満ちるようにと聖母に祈られた。

さらに、同日、北イタリア・イヴレアでとり行われた、アントニア・マリア・ヴェルナ修道女(1773-1838、イヴレアの無原罪の聖母カリタス修道女会創立者)の列福式に触れた教皇は、18世紀から19世紀に奉献生活者・教育者として生きたこの新福者のキリスト者また女性としての輝ける模範を思い起こされた。








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