2011-08-16 19:17:26

教皇「WYDマドリッド大会のため祈りを」殉教から70年の聖コルベ神父を思い起こす


教皇ベネディクト16世は、カステルガンドルフォの離宮で14日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

この席で教皇は、マドリッドで行われる世界青年の日(ワールドユースデー・略称WYD、8月16日~21日)大会に参加する世界中の若者たちのために、また18日から現地入りされ、WYD公式行事に参加されるご自分の司牧訪問の実りのためにも、皆で祈りを共にしてほしいと呼びかけられた。

会場にはキューバからローマ経由でマドリッドのWYD大会に参加する若者たちの姿も見られ、教皇は温かい励ましをおくられた。

この日は、聖マキシミアノ・マリア・コルベ神父の帰天から、70年を迎えた。コルベ神父は、アウシュビツ=ビルケナウ強制収容所で、妻子ある一人の囚人の身代わりを申し出て、餓死刑の牢に入れられ、1941年8月14日、殉教した。

教皇は、コルベ神父の英雄的な愛は、憎しみと苦しみ、死に覆われた人類の悲劇における神の現存の勝利の輝けるしるしと述べ、私たちの愛を通して世界中の人々が神の現存を知ることができるようにと祈られた。

集いの説教で教皇は、この日のミサ中朗読された、イエスが信仰深い異邦人の女性の娘を癒す「カナンの女の信仰」のエピソード(マタイ15,21-28)を観想された。

教皇の説教は以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日の主日のミサの福音は、イエスが向かっている地方の描写から始まります。ティルスとシドンという異邦人たちの土地です。ここでイエスはカナンの一人の女に出会います。彼女は悪魔によって苦しめられていた自分の娘を治してくれるよう願います。(マタイ 15,22) 

この女の願いの中にすでに、私たちは神である師との対話のうちに成長し強められる信仰の歩みの開始を認めることができます。女はイエスに「わたしを憐れんでください」と叫ぶのを恐れません。これは詩編第51番に由来する表現で、彼を「主」そして「ダビデの子」と呼び、必ず聞きいれてもらえるという固い希望を表しています。(同 15,22)

さて、この異邦人の女の苦しみの叫びを前にした主の態度はいかなるものでしょうか。イエスの沈黙には驚かされます。さすがに弟子たちも自らとりなしに出たほどです。しかし、イエスのこの沈黙は、女の苦しみに対する無感覚でも無関心でもありませんでした。まさしく聖アウグスティヌスも次のように説明しています。「キリストは憐れみを拒絶するためではなく、ますます望みを大きくするために彼女に対して無関心を装ったのです」。

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のために遣わされたのだ」と言うイエスの見かけの冷たさは、「主よ、わたしを助けてください」と叫び続けるカナンの女をがっかりさせるものではありませんでした。(同25)

「子供たちのパンを取り上げ、小犬に与えるのはよくない」(同26)と言う、あらゆる希望を打ち砕くような返事を受け取っても、彼女はあきらめません。彼女は誰からも何も取り去ろうとは思っていません。単純で謙遜な彼女には、ほんの少しのことで十分だったのです。彼女には、ほんの少しのパンくず、一瞬のまなざし、神の子の一言で十分でした。イエスはこの女のこれほどまでに大きな信仰の答えに驚嘆します。そして、彼女に言います、「あなたの望みどおりになるように」と。(同 28)

親愛なる友人の皆さん、私たちも信仰において成長するよう、自由に神の賜物を受け入れ、自分自身を開くよう、また信頼をもって「私たちに信仰をください、道を見出すのを助けてください」とイエスに叫ぶよう招かれています。この歩みこそ、イエスがご自分の弟子たちに、あのカナンの女に、すべての時代の人々に、私たち一人ひとりに歩ませた道なのです。

信仰は、イエスのその新しさ、その特殊性、そのことばを、神との親しさを生きるための生命の泉として、そのまま認め、受け入れるよう私たちを開きます。信仰は成長します。道を見出したいという願望によって、信仰は成長します。そして、私たちにその姿を現す神の賜物は、顔も名前もない抽象的な何かではありません。

信仰とは、私たちと愛の深い関係に入り、その一生をも左右することを望まれるぺルソナに対する答えです。ですから、私たちの心は、毎日回心しなければならないのです。毎日自分自身の上にかがみこんでいる私は、神の御業に開かれた人間、主の御言葉に従い、自分自身の生命を神の愛に全く開いた霊的な人間になっていかなければなりません 。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ですから、毎日神の御言葉に深く耳を傾け、秘跡に与り、神への心からの叫びである祈りと、隣人に対する愛徳によって、私たちの信仰を育てていきましょう。

聖母マリアの取次ぎをも願いましょう。明日、私たちは聖母が身も心も共に天に上げられた栄光ある被昇天の大祝日を祝います。私たちが主と出会えた喜びを生活をもって証し伝えていくことができるよう、聖母マリアが助けてくださいますように。








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