2011-05-23 12:27:16

教皇一般謁見・カテケーシス要約(2011.5.18)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

祈りについてのカテケシスを続けながら、今日は聖書の語るところに目を向けてみましょう。祈りとは歴史の中に生きる人間と神との間に交わされる会話だと聖書は教えています。この神と人間との間の会話は人となられた神のみことばイエス・キリストにおいてその頂点を極めます。
優れた祈りの例として、信じる全ての人々の父であるアブラハムの祈りから考察を始めましょう。
アブラハムは罪深いソドムの町を破壊しないようにと神に懇願します。 アブラハムの取次ぎの祈りはまず初めに,罪なき人々を罪人とともに滅ぼすことのないようにと神の正義に訴えます。しかしアブラハムは同時にゆるしと和解によって悪を善に変えることも可能な神のあわれみにも訴えます。 神は罪人の死を望みはしません。神が望まれるのは罪人の回心であり罪からの解放です。神はアブラハムの祈りに答え、もし10人の擬人がいるならソドムを滅ぼすのはやめようと言われます。 後に神は、エレミヤ預言者を通じて、たった一人でも義人がいるならその義人のゆえにエルサレムを赦そうと約束されています。そして、最後には、神ご自身が全ての人々の救いのためにご託身の神秘においてその義人となりました。
十字架上でのキリストの取次ぎの祈りは、全ての人々、全世界に救いをもたらすのです。全ての人々に注がれる神の憐れみの恵みにまったく信頼し、キリストを通して、私たちの祈りが必ず聞き入れられまた答えられることを確信しながら私たちも心からの祈りを捧げましう。








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