2011-05-01 13:08:06

ヨハネ・パウロ2世、福者に、帰天から6年、「世界中の信者にキリスト者であることの勇気を与えた」


前教皇・神のしもべヨハネ・パウロ2世の列福式が、1日午前、バチカンでとり行われた。

教皇ベネディクト16世は、聖ペトロ広場でミサを司式、この中でヨハネ・パウロ2世を福者として宣言された。

復活祭から1週間後、教会の暦は、ヨハネ・パウロ2世が制定した「神のいつくしみの主日」を祝った。

朝から曇りがちだったこの日のローマだが、列福式の始まる頃には青空が広がった。

この日、ヨハネ・パウロ2世の列福を共に祝おうと、前教皇の母国ポーランドはもとより、イタリア全土、世界各地から大勢の信者が、夜明け前からミサ会場に詰め掛けた。人々の群れはバチカン一帯を埋め尽くし、テベレ川沿いにまで続き、その数は百万人以上と発表された。多くの若者たちをはじめ、あらゆる年齢層の参加、会場になびく色とりどりの国旗が、この列福式における人々の大きな喜びを伝えていた。

教皇ミサはラテン語で行われた。前半部分の列福の儀式では、ローマ教区司教代理アゴスティーノ・ヴァッリーニ枢機卿がヨハネ・パウロ2世を福者の列に加える旨を願い出る式文を述べ、続いて前教皇の人となりを紹介した。

これを受けた教皇は、ヨハネ・パウロ2世の列福を荘厳に宣言。その記念日を教会の典礼暦で10月22日とすると発表した。

それと共に大聖堂正面に掲げられた新福者の肖像が除幕され、大聖歌隊が歌う喜びの聖歌と共に、会衆からの割れるような拍手が長く続いた。

教皇はミサの説教で、6年前、この聖ペトロ広場でとり行われたヨハネ・パウロ2世の葬儀を回想。その時、深い悲しみはもとより、それを上回るさらに大きな感謝の念が世界を包んだことを思い起こされた。

あの日すでに人々はヨハネ・パウロ2世の聖性の香りを感じ、尊敬をいろいろな方法で表してきたが、「今日、その日は早く訪れました。ヨハネ・パウロ2世は福者となりました」と、教皇はこの日を迎えた喜びを人々と分かち合われた。

そして、ヨハネ・パウロ2世自身が命名した「神のいつくしみの主日」であると同時に、聖母月である5月の初日、また労働者聖ヨセフを記念するこの日に、前教皇の列福を祝うことができた摂理を心に留められた。

「ヨハネ・パウロ2世は、その信仰の証し、愛、使徒的な勇気、また豊かな人間性をもって、キリスト者であること、教会に属すること、福音を語ることを恐れないようにと、世界中の信者たちを助けた」と教皇は述べ、「真理を恐れるな。真理は自由を保証する」ということを教えながら、キリストを信じるための力を再び信者たちに与えたヨハネ・パウロ2世の教会への偉大な貢献をたたえられた。

「見ないのに信じる人は幸いである」(ヨハネ20,29)、ミサの福音朗読中のイエスのこの言葉が説くものは「信仰の幸い」であると指摘しながら、教皇はヨハネ・パウロ2世の強く寛大で使徒的な信仰、神から受け取った信仰の恵みを教会のために捧げ尽くしたその生き方を見つめられた。

ヨハネ・パウロ2世は、「恐れてはいけません。キリストに扉を開いてください」という、すべての信者たちに投げかけた言葉を自ら最初に実行し、社会・文化・政治・経済をキリストに向かって開きながら、神から汲み取った超人的な力をもって、くつがえすことはできないと思われた世の潮流に立ち向かっていったと、教皇は振り返った。

そして、ヨハネ・パウロ2世は神の民を3千年期に導く道のりの中で新しい未来、神の未来への指針を人々に示しながら、マルクス主義や発展至上主義が失わせた希望の力をキリスト教精神をもって取り戻し、人間の完成、正義と平和の構築を目指しながら新しい時代の到来を生きるよう励ましていったと話された。

教皇は1982年に教理省長官としてローマに着任して以来、ヨハネ・パウロ2世の協力者として過ごした23年間を思い起こされ、前教皇の常に深く祈る姿勢、苦しみの神秘を身をもって証しした生き方、キリストに完全に一致した謙遜さから受けた、深い感銘を語られた。

「幸いなるかな、愛するヨハネ・パウロ2世よ、なぜならあなたは信じたからです。神の民の信仰をどうか天国から支え続けてください」と教皇は説教の最後に祈られた。

ミサ終了後、教皇は聖ペトロ大聖堂に入り、中央祭壇前に安置された福者ヨハネ・パウロ2世の棺にオマージュを捧げられた。

この後、同様に新福者の棺を前に祈る教会関係者、巡礼者たちの列が続いた。








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