2011-04-18 19:01:41

聖週間入り:教皇、受難の主日のミサ「神の愛に支えられ、神に向かう」


受難の主日を迎えた17日、教皇ベネディクト16世は、バチカンの聖ペトロ広場でミサを捧げられた。

「枝の主日」とも呼ばれる「受難の主日」は、復活祭直前の日曜日を指し、教会の暦はこの日より、キリストの受難を記念する「聖週間」に入る。

また、この日は、教区レベルの「第26回世界青年の日」が記念された。今年のテーマは、「イエス・キリストに根を下ろして造り上げられ、信仰をしっかり守りなさい」<コロサイ2,7> )。

今年の8月16日から21日には、国際レベルの「世界青年の日大会」がマドリッドで開催されることから、その精神的準備として、この教皇ミサにはローマ教区をはじめイタリア各地から多くの若者が参加した。

イエスのエルサレム入城を祝うこの日は、民衆が歓呼のうちにイエスを迎え、その足元に服や木の枝を敷いたという福音書の記述を思い起こし、ミサの前に、祝別されたオリーブや棕櫚(しゅろ)の枝を用いた宗教行列が行なわれる。

聖歌が歌われる中、枝を掲げての宗教行列は、枢機卿たちに始まり、次いで司教や司祭、修道者、若者たち、最後列を教皇の乗った特別車パパモービルが続いた。

ミサ中、マタイによる主イエス・キリストの受難が朗読され、人々はそれにじっと耳を傾けた。

説教で教皇は、イエスが過越祭のためにエルサレムに上がっていく道のりについて観想され、この歩みはエルサレムの神殿へと上り、やがては十字架の高さに向かう歩み、さらにはイエスの巡礼の最終地、神ご自身の高さに上がる歩みであったと指摘。そして、その高さにこそ、イエスは人類を導き上げようとしておられる、と話された。

そして、ミサの前に行われた宗教行列は、イエスと共に歩む巡礼、生ける神に向かって上がっていく私たちの歩みを象徴していると、その深い意味を説明された。

では、私たちはどのようにこの上り坂をのぼり続けられるのかと問いを発した教皇は、私たちを神に向けて導かれるために人間と同じ低さに降りてこられた神の謙遜はその究極の愛の形であり、神のこの謙遜な愛こそが私たちを上に引き上げると強調。

神の手に支えられながら、すなわち信仰のうちに、私たちは高く引き上げられる内的な力と方向性を得ることができると、教皇は神の御顔を求める謙遜な信仰の必要を信者たちに説かれた。

教皇はミサ後に行われた正午の祈りで、会場の若者たちに温かい挨拶を向けられ、8月の世界青年の日・マドリッド大会への積極的参加を呼びかけられた。










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