2011-04-11 19:02:39

人間存在を脅かすのは「精神的な死」、教皇、日曜の集いで


教皇ベネディクト16世は、バチカンで10日、日曜正午の祈りの集いを行われた。

復活祭まであと2週間となったこの日曜日、ミサの中の聖書朗読箇所は、私たち人間にとっての「復活」とは何かを考えさせる内容であると教皇は解説された。

私たちにとって、死は一つの壁のように立ちはだかり、その先を見ることを妨げてしまう一方で、私たちの心はこの壁の向こうにまでも伸び、その先に隠れたものが何であるかはわからなくとも、それを考え想像し、永遠への願いをシンボルと共に表現してきた、と教皇は人間の持つ死と永遠への思いを見つめられた。

この日朗読されたヨハネによる福音では、イエスが死んだラザロを生き返らせる奇跡が語られる。イエスがラザロの姉妹マルタに「あなたの兄弟は復活する」と言うと、彼女は「終わりの日の復活の時に復活することは存じています」(ヨハネ 11,23-24)と答えるが、イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と説いた。

教皇はここに、死の壁を打ち破るキリスト、神そのものであり、永遠の命であるキリストという、すべての壁を乗り越える真の新しい知らせを示された。

そして、ラザロの復活は、キリストが肉体的な死を完全に支配し、体の死は神の前では一つの眠りに過ぎないことを表すしるしであると述べられた。

しかし一方で、教皇は、キリストにとって最も厳しい闘いを招き、十字架の犠牲までを必要としたもう一つの死があることを指摘。それは精神的な死、すべての人間存在を脅かす罪のことであると話された。

この死に打ち勝つためキリストは死に、その復活は以前の命に戻ることでなく、新しい現実、神の天と再び結ばれた「新しい地」を開くことであったと強調された教皇は、キリストこそが私たちの真の救いであることを皆が再発見できるよう祈られた。







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