2010-12-25 14:50:51

教皇の2010年降誕祭メッセージ、ウルビ・エト・オルビ


主の降誕の大祝日を迎えた、25日、教皇ベネディクト16世は、ローマと世界中の人々にクリスマスのメッセージをおくられた。

降誕祭の聖ペトロ広場は、朝早くからミサに預かり、教皇の祝福とメッセージを受けようとする巡礼者でいっぱいとなった。

午前中に行われた聖ペトロ大聖堂主席司祭、アンジェロ・コマストリ枢機卿司式のミサに続き、正午に教皇は、バチカンの聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーに姿を見せられ、日本語を含む世界の様々な言語で、クリスマスの挨拶を述べられた。

教皇は降誕祭のメッセージと、ローマと世界に向けての祝福「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。

教皇の降誕祭のメッセージは以下のとおり。

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「言(ことば)は肉となった」(ヨハネ1,14)

ローマと世界の親愛なる兄弟姉妹の皆さん、喜びをもって主の降誕のメッセージを申し上げます。人となられた神は、私たちの間に住まわれるためにおいでになりました。神は遠い方ではありません。むしろ、私たちと共におられる神、「インマヌエル」です。そして神は、イエスという顔を持っておられます。

そのメッセージは、私たちのどんな大胆な希望をも超越し、常に新しく、常に驚きに満ちています。なぜならそのメッセージは第一に単なる告知ではなく、それは出来事、ナザレのイエスという人間において実際に見聞きした信じうる証しだからです。イエスと共にいて、その行いを見、言葉に耳を傾けることで、人はイエスの中にメシアを見たのです。そして、十字架にかかった後、復活したイエスを見て、人は彼が真の人間であると共に、真の神であること、御父からもたらされた恵みと真理に満ちたその御独り子であることを確信したのです。

「言(ことば)は肉となった」。この啓示を前に、私たちに再び疑問がわきます。そのようなことがいったい可能なのか。御言葉と肉は互いに正反対のものではないのか。どうしたら永遠で万能の御言葉が、はかなく死せる人間となりうるのか。それに対する答えはこれだけです。「それは愛です」。愛する者は、愛する対象と分かち合い、一致したいと望みます。聖書は、神のその民に対する偉大な愛の歴史、イエス・キリストによって頂点を迎えるその歴史を示してくれるのです。

実際には、神は変わることのない方です。神はご自身に誠実です。世界を創造した方は、アブラハムを呼び、モーセにご自分の名を明かされた方と同じ方です。「わたしはある あるという者だ。アブラハム、イサク、ヤコブの神 、憐れみ深く恵みに富む神、愛と誠実に満ちた神」(出エジプト記 3,14-15; 34,6)。神は不変です。神は常にそして永遠に愛です。そして神ご自身が、三位一体の交わりであり、そのすべての業と言葉は交わりを目的とするものです。神の受肉はその創造の頂点です。御父の御旨と聖霊の働きのために、マリアの胎の中で、人となられた神の御子イエスが宿ったとき、神に創造された世界は頂点に達しました。世界を統治する原理、ロゴスは、時間と空間を通し、世に入ってきたのです。

「言(ことば)は肉となった」。この真理の光は、それを信仰をもって受け入れる者に示されます。なぜならそれは愛の神秘だからです。愛に自分を開く者のみが、主の降誕の光に包まれることができるのです。それはベツレヘムのあの夜においても、そして今日においても同じです。神の御子の受肉は歴史の中で起きた出来事ですが、歴史を越える出来事でもあります。世界の闇に新しい光が灯り、その光は温和で謙遜な心で救い主を待つ人の、信仰ある素直な目に映ります。真理がただ数学的な形を持つものならば、それはある意味、自分でそれを押し付けたでしょう。それに対し、真理は愛なのです。私たちの信仰を問い、私たちの心の「はい」を待つものなのです。

実際、私たちの心は、愛である真理以外の何を求めるでしょうか。子どもは、無邪気に好奇心あふれる問いをもってそれを求めています。若者も、自分の人生の深い意味を知る上でそれを求めています。大人たちも家庭を支え、仕事に励むためにそれを求めています。お年寄りも、地上の旅を完成させるためにそれを求めているのです。

「言(ことば)は肉となった」。主の降誕の知らせは、人々のための光、人類皆の歩みを照らす光でもあります。「インマヌエル」私たちの間におられる神は、正義と平和の王として来られました。その王国はこの世に属してはいませんが、それにも関わらず世界あらゆる王国よりも重要なのです。それは人類のパン種です。それがなければ、真の発展を進めるための力が欠けてしまいます。それは共通善のために協力し、隣人に尽くし、正義のために平和的に闘うよう促します。私たちと歴史を共有することを望まれた神を信じることは、たとえ反対の中にあっても、それに専念するための勇気を常に与えてくれます。それは、尊厳を傷つけられ、侵害されたすべての人々の希望の理由です。なぜならベツレヘムに生まれたお方は、人間をあらゆる隷属から解放するために来られたからです。

主の降誕の光が、再び、イエスがお生まれになった地に輝き、イスラエルとパレスチナに正義と平和ある共存を追求する力を与えますように。インマヌエルの訪れの知らせが、試練にあるイラクと中東全土のキリスト教徒の苦しみを和らげ、慰めをもたらしますように。そして、彼らの未来に希望を与え、諸国のリーダーたちの彼らに対する連帯を高めますように。破壊的な地震の被害と最近のコレラで苦しむハイチ、またコロンビア、ベネズエラ、グアテマラ、コスタリカなどで自然災害を受けた人々が忘れられることがありませんように。

救い主の誕生が、ソマリア、ダルフール地方、コートジボアールの人々に恒久的な平和と真の発展への見通しを開きますように。また、マダガスカルの政治と社会の安定、アフガニスタンとパキスタンにおける治安の安定と人権の尊重、ニカラグアとコスタリカ間の対話、朝鮮半島における和解を促しますように。

贖い主の誕生を祝うことで、中国の教会の信者たちの信仰、忍耐、勇気の精神が強められますように。たとえ、宗教と良心の自由に制限を受けていても、落胆することなく、キリストとその教会への忠実を守り、希望の火を生き生きと保つことができますように。「私たちと共におられる神」の愛が、差別や迫害に苦しむすべてのキリスト教共同体に忍耐の恵みを与え、すべての人々の宗教の自由を尊重するための取り組みへと政治・宗教指導者らを促しますように。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、「言(ことば)は肉となり」、私たちの間に住まわれるためにおいでになりました。それはインマヌエル、私たちと共におられる神です。この愛の偉大な神秘を共に観想しましょう。そして、ベツレヘムの洞窟から輝く光に心を照らされるままにしましょう。主の御降誕、おめでとうございます。







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