2010-10-29 17:14:58

インドネシアとベナンへの支援をアピール、教皇一般謁見、スウェーデンの聖ビルジッタを考察


教皇ベネディクト16世は、バチカンで27日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この席で教皇は、インドネシアを新たに襲った津波と火山噴火による犠牲者の冥福を祈られ、同国の国民に精神的一致を示すと共に、祈りを約束された。

また、水害で打撃を受けたベナンの人々に思いを向けられた教皇は、亡くなった人々や家を失った人々のために祈られた。

そして、教皇は災害で苦しむこれらの人々に必要な支援が欠けることのないよう、国際社会に協力を呼びかけられた。

教皇はこのところのカテケーシス(教会の教えの解説)で、中世のキリスト教文化の中でも、特に当時の傑出した女性たちの考察を続けておられるが、この日はスウェーデンの聖ビルジッタを取り上げられた。

教皇のカテケーシスの要約は以下のとおり。


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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日のカテケーシスでは、スウェーデンの聖女ビルジッタについて考察しましょう。

ビルジッタは、1303年、スウェーデンにて誕生し、深い信仰の中に成長しました。若くして結婚生活に入り、8人の子供を生み、夫婦そろって霊的生活を熱心に追求し、子どもたちのキリスト教的教育に心をくだきました。

ビルジッタは夫と共に、結婚生活の聖性とはいかなるものであるかという模範を残しました。さらに、ビルジッタの生き方は 家庭の霊的な中心としての女性のあるべき具体的な姿を示しています。

夫の死後、ビルジッタは再婚することなく、祈りと償い、愛徳の生活を通して、主との深い一致の生活を送りました。その後 、彼女はすべての財産を放棄し、修道院での生活を選択しました。

彼女は祈りの中に多くの神秘的な体験をし、それらを書き残しています。

1341年、ビルジッタは、彼女が創立した修道会の認可を教皇から得るために、ローマに巡礼しました。そして、ローマに住んでいる間、深い使徒的祈りと活動に専念しました。ビルジッタは1373年に死去し、その8年後に列聖されました。

聖女ビルジッタは、ヨーロッパ・キリスト教界の一致を思い起こさせると共に、女性の聖性の力強い模範となっています。紀元2000年の大聖年、聖ビルジッタは、教皇ヨハネ・パウロ2世によって、ヨーロッパの保護者の一人として宣言されました。

聖ビルジッタの取次ぎによって、キリスト教徒たちの一致が促進され、ヨーロッパの人々がキリスト教から受けたこの上ない価値ある遺産の素晴らしさをますます理解できますように。







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