2010-10-22 17:45:21

ハンガリーの聖エリザベトをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで20日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで、教皇は中世のキリスト教文化の考察を継続しながら、13世紀の偉大な聖人で、今日も深い尊敬を集めるハンガリーの聖エリザベトを紹介された。

聖エリザベトは、1207年、ハンガリー王アンドレア2世とゲルトルード女王の子として生まれた。シレジアの聖ヘドビッヒは、ゲルトルードの妹、エリザベトの叔母にあたる。

エリザベトは4歳にてハンガリー宮廷を離れ、ドイツのチューリンゲンに連れて行かれた。それはチューリンゲン領主ヘルマンの子息ルードウィヒと将来結婚するためであった。

婚約中、ルードウィヒは騎士の修行をし、エリザベトは学問や教養の習得に励んだ。この婚約は政略的なものであったが、両者は互いに誠実な愛と尊敬を抱いていた。

ルードウィヒは父の死後、18歳で領主となったが、エリザベトはその非常に篤い信心と貧しい人々への配慮ゆえに、かえって宮廷の批判をあびていた。

エリザベトの深い信仰を物語るものとして、聖母被昇天の祝日に盛装して聖堂に入ったエリザベトが、十字架の前で冠を取り、床に伏して祈るという出来事があった。義母が驚いて叱責すると、エリザベトは「私の王イエス・キリストが茨の冠を被っておられる目の前で、わたしのような惨めな者がこの世の権力の冠を被っていることができるでしょうか」と答えたという。

エリザベトは不法な富に手をつけなかったほか、暴力を振るわれた人に賠償金を与えるなど、正義と慈愛のための奉仕、共通善の絶えざる追求に努力する指導者の真の模範を示していた。彼女は熱心に慈愛の業を施し、貧しい人に食べ物や服を与え、人の借金を払い、病人の看護をし、死者を葬った。

ルードウィヒとエリザベトの結婚は大変幸福なものだった。ルードウィヒは妻に感化され、信仰のうちにお互いを高めあった。

しかし、1227年、ルードウィヒは、皇帝フリードリヒ2世の呼びかけた十字軍に従軍し、聖地に渡る前に熱病にかかり、27歳の若さで亡くなってしまった。エリザベトの受けた衝撃はあまりに大きく、悲嘆と苦しみの中に引きこもった生活が続いたが、祈りに強められ、再び国政に関わるようになった。

だがその時、ルードウィヒの弟が正当な王位継承権を奪い、エリザベスを3人の子どもと共に城から追放した。彼女は身を寄せる場所を求めてさまよい歩き、貧しい下働きをして子どもたちを飢えから守った。しかし、ここでも彼女は大きな信仰をもってこの受難に耐えた。

後、親類のとりなしで王位継承権はエリザベトの息子に戻ったが、彼女は宮廷に再び戻ることなく、マールブルグに隠遁し、フランシスコ第三会員となり、清貧のうちに、貧しい人々に奉仕しながら残りの短い人生を捧げ、1231年、24歳で帰天した。

キリストへの信仰と友情が、正義と平等、愛と奉仕の心を生んだ聖エリザベトの生涯を振り返った教皇は、同聖女のように真の正義と愛のためにキリストを再発見し、愛することができるようにと祈られた。







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