2010-07-04 19:18:34

教皇、中部イタリア・スルモーナでミサ、聖チェレスティーノ5世生誕8百年を記念


教皇ベネディクト16世は、4日、イタリア・アブルッツォ州の都市、スルモーナを司牧訪問された。

この訪問は、スルモーナをはじめアブルッツォ州およびモリーゼ州と深いゆかりのある聖チェレスティーノ(ケレスティヌス)5世教皇(ピエトロ・ダ・モローネ1209-1215頃~1296)の生誕8百年を記念して行われたもの。アブルッツォとモリーゼ両州の司教団は昨年8月から今年8月までを「チェレスティーノ年」と定め、様々な司牧行事を行ってきた。

聖チェレスティーノ5世はモリーゼ州のイセルニアに生まれた。1230年、ベネディクト会に入会。モリーゼ、アブルッツォ地方の各地で隠修者として暮らした。1233年から34年にかけてローマに赴き、司祭叙階を受けた。その後もモローネ山(スルモーナ)など山岳地帯で隠れた祈りの生活を続けたが、彼の聖性の評判は人々の間に広まり、行く先々で弟子たちや、彼を慕う貧しい人々や病者らが集まっていった。彼の創立した修道会は教皇によって認可され、その指導をしながらも、老齢に至るまで祈りと苦行に専心した。

1292年、ニコラウス4世逝去後、2年以上教皇選出が難航したが、1294年7月ペルージャにおけるコンクラーベで彼は教皇に選ばれ、同年8月、ラクイラ(アブルッツォ)の聖マリア・コレマッジョ聖堂で戴冠された。しかし、この時代の王侯・貴族間の対立の中、教会を取り巻く複雑で困難な状況を見つめ、自己の適性を謙虚に判断した彼は、祈りと熟慮の結果、5ヶ月後の同年12月に自主的に教皇職から退位した。

退位後、再び隠修生活に戻ることを望んだが、退位教皇と新教皇のそれぞれの支持者の分裂の恐れから、フモーネ(ラツィオ州フロジノーネ県)の城に幽閉され、1296年5月19日に逝去。囚われの身でありながら、彼は「望んでいた修室がようやく得られました」と神に感謝していたという。死後も彼の聖性の証しは人々の間で消えることがなく、チェレスティーノ5世は、1313年、聖人として宣言された。

この日、ローマからスルモーナにヘリコプターで向かわれたベネディクト16世は、聖チェレスティーノ5世が創立したモローネ山のサント・スピリト修道院と、彼が修道生活の晩年を過ごした聖オノフリオ隠修所を上空からご覧になった。

スルモーナ市内の広場でとり行われた教皇ミサには、アブルッツォ・モリーゼ両州はもとより、イタリア全土からの巡礼者が数多く参加した。

ミサの説教で教皇は、聖チェレスティーノ5世の模範に従い、より自由な心と精神性を保つための清貧な生活の必要性をすべての信者に訴えられた。

そして、たとえ迫害や暴力の中にあっても勇気を持って福音を告げ、お金や時勢などこの世の煩いを断ち切り、神に信頼し、病者をはじめ人々に愛をもって接した聖チェレスティーノ5世の生き方を、すべての時代の教会の進むべき道として示された。

同日午後、教皇はスルモーナの刑務所の代表者らとお会いになったほか、司教座大聖堂で若者たちとの集いを持たれた。







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