2010-06-12 11:58:58

教皇ミサによって司祭年終了「神に託された聖なる任務を忠実に生きよう」


典礼暦で「イエスの聖心」を祝った11日、カトリック教会が一年間にわたり記念してきた「司祭年」が、教皇ベネディクト16世と全世界から訪れた司祭たちが共に捧げるミサをもって終了した。

「司祭年」は司牧者の真の模範「アルスの聖なる主任司祭」ヨハネ・マリア・ビアンネ神父(1786-1859)の帰天150年を機に、司祭職の重要性を認識し、司祭らの役務の実りと霊的向上を祈り励ますことを目的に、昨年6月19日より開催されていた。

この日、司祭年終了の記念ミサが行われたバチカンの聖ペトロ広場は、教皇とミサを共同司式した世界97カ国の司祭1万5千人の白い祭服で埋め尽くされた。

ミサの説教で教皇は、司祭職の偉大さとは、それぞれの弱さにも関わらず、神の力に助けられ、すべての時代のすべての人々に神の現存を知らせることにあると強調された。

司祭とは単にある種の役目をこなすのではなく、キリストの名において罪の赦しを告げ、ミサをとり行うという、神の力なくしては決してできない務めを託された存在であると教皇は述べ、司祭職とは役職ではなく秘跡であることを思い起こすよう皆を招かれた。

そして、神が一人の弱い人間を召され、彼を通してご自分を人々の間に知らせ、人々のために働かれるということ、私たちの弱さを知りながらも人間にご自身を託されるというこの「神の大胆」こそが司祭職の真の偉大さであると教皇は指摘された。             

教皇はこの司祭年を、司祭たちにご自分を託され彼らを導き支え続ける神に感謝し、司祭職とは何かを示しながら、若い人々の間にさらなる召し出しが生まれることを祈る1年として振り返られた。

この喜びの年に聖職者による未成年虐待が明るみに出たことに、教皇はこの司祭らの罪に対し、神とこの事件に苦しむ人々に改めて赦しを願われると共に、このようなことが二度と起きることのないよう最大の努力を約束された。

この司祭年は自分たちに栄光を帰すのではなく、自分たちの弱さにも関わらず司祭職を託してくださった神の恵みに感謝する年であったことは、自らを清め、勇気と謙虚さをもって神から託された任務に応えていく上で心構えを新たにするものであったと話された。

「イエスの聖心」を祝うこのミサで、教皇は十字架上でわき腹を槍で突かれたイエスの、私たちのために、私たちの前に開かれた聖心を観想された。

聖心を私たちのために開き、死と復活を通していのちの泉となられた主に感謝し、自分たちもまたこの時代においてイエスから発する生ける泉となり、人々にいのちを伝え、渇いた世界にいのちの水を与えなければならないと教皇は司祭らを励まされた。

ミサの終わりに、教皇はすべての司祭をマリアの穢れなきみ心に託して祈られると共に、全世界の40万人の司祭たちに向けて、主から託された聖なる任務において、歩みも新たに聖化の道を進んでいこうと呼びかけられた。







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