2010-06-01 18:50:10

聖母月の終わりにバチカンでロザリオの祈り、教皇「マリアは教会の歩みの明快な模範」


カトリック教会の伝統として聖母マリアに捧げられた月、5月の終わりにあたり、31日、バチカンでロザリオの祈りの集いが開かれた。

夕刻のバチカン庭園で、聖職者、修道者,信者らはロザリオを唱えながらろうそく行列し、庭園内のルルドの洞窟前で聖ペトロ大聖堂主席司祭アンジェロ・コマストリ枢機卿司式によるみことばの祭儀に参加した。

教皇ベネディクト16世は、集いの最後に庭園に姿をお見せになり、この日、典礼暦で記念された「聖母の訪問」を取り上げながら、聖母月を締めくくる講話を行われた。

マリアが受胎告知の際、親類のエリザベトも男の子を身ごもっていることを天使より知らされ、すぐにエリザベトのもとへと急いだエピソードを教皇は観想され、聖母マリアを、福音をあらゆる場所・人々にもたらす教会の使命とその歩みの明快な模範として示された。

マリアのエリザベト訪問は、まぎれもない宣教の旅であると述べた教皇は、マリアの行動の中に、自分自身から出て他に向かって開くという、人間としてまたキリスト者として大切な要素を指摘された。

また教皇は、「マリアは3ヶ月ほどエリザベトのもとに滞在してから自分の家に帰った」(ルカ1,56)ことに注目。この単純な記述の中に、年をとり身ごもっているエリザベトを助けるというマリアの訪問の目的を見出しつつ、「主のはしため」であるマリアは、それゆえに「人々に奉仕する」存在であることを強調された。

家族や社会の中に、エリザベトのように助けを必要とする人々がいかにたくさんいることだろうかと教皇は述べながら、聖母の愛情あふれる奉仕に学ぶよう皆を招かれた。

そして、「マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった」(ルカ1,41)とあるように、聖母の訪問の一番頂点をなすものは、生ける福音であるイエスご自身との出会いを与えたことにあると説かれた教皇は、教会の使命と責任を自覚し、喜びをもって聖母と共に歩むようにと、人々を励まされた。







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