2010-05-26 19:13:05

司祭の統治の務めを考察、教皇一般謁見「権威とは奉仕」
 


教皇ベネディクト16世は、バチカンで26日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は間もなく終了する「司祭年」を念頭に、司祭職についての考察を続けられた。特にこの日は、司祭の3つの職務「教える務め」「聖化する務め」「統治の務め」の中から、「統治」をテーマに、自分の権威ではなくキリストの権威のもとに、託された人々を治め導く司祭の使命を浮き彫りにされた。

キリストの命によって人々を司牧するという「権威」を今日の文化の中でどのように理解すべきかを教皇は問いながら、特に20世紀の東西ヨーロッパの独裁政治によって、現代人が権力・権威という概念を用心深く扱うようになったことを指摘。

前世紀、恐怖と死をもたらしたあらゆる体制が神を除外し、人間を苦しめたことに対し、司祭の権威は、権力そのものが目的ではなく、神によって創られた尊厳ある人間を目的に、その真の善のために奉仕し、最高善である神を映し出すものであると話された。

教会はこの「権威=奉仕」を、自分の名ではなく、イエス・キリストの名のもとに行使するのであり、キリストは教会の牧者を通して、ご自分の民を慈しまれ、牧され続けると教皇は述べられた。

神の御心に沿った司牧者であるために必要なものとして、教皇は、キリストとの深く生き生きとした友情を基礎に、知性、自由さ、意思、司祭叙階で得たアイデンティティーへの自覚、あらゆる条件の中で主から託された群れを導く覚悟等を挙げられた。

さらに、司祭は自分の役務を果たすための力をどこから汲み取るのかという問いに対し、その答えは主キリストの中にのみあると強調。

イエスの統治の方法は支配ではなく、弟子の足を洗ったエピソードに表される愛情あふれる奉仕であり、キリストの天地に対する王権は地上的な勝利ではなく、その頂点は十字架にあると話された。

教皇は、兄弟たちをキリストに向けて導くことを恐れず、神の御旨に従うことならばすべての言葉と行いは実りをもたらすことを信じるようにと、司祭たちを励まされた。

また、教皇は信徒たちに対し、キリストの教会を統治する務めを担う教皇をはじめ、すべての司教、司祭のための祈りを願われると同時に、司祭たちを6月9日から11日までローマで行われる「司祭年」閉会行事に招かれた。







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