2010-05-04 19:01:22

トリノ司牧訪問:教皇、聖骸布を前に深い祈り、「聖土曜日の神秘」を観想、広島・長崎に言及 


教皇ベネディクト16世は、2日午後、トリノ大聖堂に公開された聖骸布の前で祈りの時を持たれた。

聖骸布は、キリストの遺体を包み埋葬するのに使用されたと伝えられる亜麻布。長さ4.39メートル、幅1.15メートルのシーツ状の布には、傷ついた男性の全身の前面と後面が映し出されている。中世前期、小アジアでキリストの聖遺物として崇敬されていたが、1452年、ルドヴィコ・ディ・サヴォイアに贈られたことで、ヨーロッパに渡った。1578年、フランスのシャンベリからトリノに移された。現在トリノ大聖堂に保管されている。

教皇は聖骸布の前にひざまずき、沈黙のうちに長い祈りを捧げられた。

教皇の崇敬の儀式は大聖堂内外を深い祈りの空気で包んだ。聖堂内ではトリノの教会関係者、特に各地の観想修道会の修道女らが教皇と祈りを共にした。

黙想の講話で教皇は、聖骸布は「聖土曜日の神秘」を表すイコンであると話された。聖骸布は、墓の中の1日半という短い時間、しかし限りない価値と意味を持ったその時間に、葬られ横たえられたイエスの体がどのような状態であったかを私たちに伝えてくれるだけでなく、「神が隠された日」を観想させるものであると説かれた。

現代、特に前世紀、「聖土曜日の神秘」は人類にとって重い意味を持つようになったと教皇は述べ、神を隠し去った現代人の精神を指摘。二つの世界大戦、ナチスドイツの強制収容所やソ連の強制労働収容所、広島・長崎への原爆投下という人類の歴史の闇を振り返られた。

聖骸布が陽画と陰画を備えた写真記録のような外観を持つように、イエスの死の悲劇は、慰めと希望の源という完全に反対の面を持っていると話しつつ、教皇は信仰における最も暗い神秘は同時に最も光り輝く無限の希望のしるしであると強調された。

また教皇は、神はイエス・キリストにおいて死に留まることで人類への究極の連帯を示されたと述べ、神の愛は死の空間にも入り込み、そこには命が到達した、死という深い孤独の時にも私たちは決して一人ではないと話された。

このように教皇は、神の御子の死という闇から出た新しい希望の光を、信仰の目を持って聖骸布の中に見出だすよう、人々を招かれた。







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