2009-09-15 14:41:31

「真の信仰は行いを伴う」教皇、日曜の集いで


教皇ベネディクト16世は、カステルガンドルフォで13日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

集いの説教で、教皇はこの日のミサ中の聖書朗読を要約するものとして、「ナザレのイエスとは誰なのか」、「あなたの信仰は行いを伴っているかどうか」という2つのテーマを提示された。

最初のテーマについて、教皇は、マルコ福音書(8,27-35)の「人々はわたしのことを何者だと言っているか」というイエスの質問にペトロは「あなたはメシアです」という信仰ある回答をしながらも、イエスが自分の受難を告げると、ペトロはすぐにイエスの苦しみと死を否定していさめはじめる点に注意を向けられた。

イエスはこのようなペトロを強く叱り、自分(イエス)が神であることを信じるだけでは足りず、自分と同じ道、すなわち十字架の道に従うことが必要だとわからせているように、イエスが来られたのは、ある種の哲学ではなく、命にいたる「道」を示すためなのであると述べられた。

教皇は、イエスの示すこの「道」とは愛であり、それこそが真の信仰の表現にほかならないと強調。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」と同日のミサの第二朗読ヤコブの手紙(2,14-18)にもあるごとく、もし清く寛大な心で隣人を愛するならば、その人は神を知っているのであり、一方でもし信仰を持っていると言いながらも兄弟を愛さないならば、その人は神を信じてはいないと話された。

そして、典礼暦でこの日記念された聖ヨハネ・クリゾストモが、まさにこのヤコブの手紙の同箇所に言及し「たとえ父と子と聖霊における真っ直ぐな信仰があっても、真っ直ぐな生活がないなら、その信仰は救いに役立たない」と記していることを紹介された。

教皇は、翌14日に祝われる「十字架称賛」、またそれに続く15日の「悲しみの聖母」の記念日に触れながら、み言葉を信じ、御子の十字架の下でも最後まで信仰を失わず、ついには御子の輝かしい復活を体験した聖母に学び、愛と真理の福音に忠実に留まり続けることができるようにと祈られた。







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