2009-08-25 16:39:38

教皇「キリストの教えを一生担うことが大切」


教皇ベネディクト16世は、ローマ郊外カステルガンドルフォで23日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

この日、教皇はギプスのとれた右手を見せられた。教皇は北イタリアで夏期休暇中の先月17日、右手首を骨折され、病院で処置を受けられていた。

患部の固定を取り去った後も、しばらくリハビリテーションが必要だが、教皇は「まだもう少しの辛抱ですが、頑張りたいと思います」と離宮の中庭に集った人々に笑顔で話された。

このところ日曜日のミサの福音朗読でヨハネの6章が取り上げられてきたが、「天から降ってきた命のパン」としてのイエスが主なテーマとなっている同章の中で、この日は最後の部分(6,60-69)を教皇は考察された。

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(53)というイエスの言葉に、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられよう」(60)と言い、弟子たちの「多くが離れ去った」(66)。これに対し、イエスは解りやすくするために妥協したり、その言葉を弱めることはせず、むしろ12人の弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいか」(67)と言われた。

イエスのこの挑戦的な問いは、この時の弟子たちだけでなく、すべての時代の信者に向けられていると教皇は指摘、今日でもキリスト教信仰の逆説に戸惑う人は少なくないと話された。

イエスの教えは難しすぎるように思われるために、キリストから離れる人もいれば、その言葉を時代に合わせて解釈して本来の意味と価値を失ってしまう人もいると述べながら、イエスが人々に望んでおられるのは、表面的で形式的な同意でも、始めのうちの熱狂でもなく、一生をかけてその教えと意志を担っていくことと強調された。

「あなたがたも離れて行きたいか」とのイエスの問いに、「主よ、わたしたちはだれのところに行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、知っています」(68-69)と答えたペトロの言葉を自分のものとし、「わたしたちの幸福は神を愛すること、そして神が愛してくださると知ることです」と言った聖ヨハネ・マリア・ビアンネ神父のように神への完全な信頼を持つよう、教皇は信者らに呼びかけられた。







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