2009-08-05 18:12:30

聖ヨハネ・マリア・ビアンネをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、5日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

ローマ郊外カステルガンドルフォの離宮で行われたこの集いには、およそ4千人の信者らが参加した。

謁見中の講話で教皇は、アルスの主任司祭、聖ヨハネ・マリア・ビアンネを取り上げられた。

1859年8月4日、ビアンネ神父が帰天してから、今年で150年を迎える。

ビアンネ神父の生きた時代は今とは異なっても、人々の抱える精神的な問題には現代と共通するものがあると教皇は述べ、「司祭年」を記念するにあたり、同神父の生き方が今日の司祭たちの模範となることを望まれた。

聖ヨハネ・マリア・ビアンネは、1786年、フランスの小村ダルディリの貧しくも敬虔な家庭に生まれた。子どもの頃から家族と共に農作業や家畜の世話をし、勉強する機会にも恵まれなかったが、母から教わった祈りと家庭の宗教的精神を受け継いだ。

多くの試練を乗り越え召命を育み、1815年、29歳で司祭に叙階された。

ビアンネ神父は司祭職という自分の受け取った賜物を常に最高のものと考え、子どもの頃、母に「もし自分が司祭だったら、多くの魂を捉えたい」と言った、その言葉どおりの人となり、南フランスの小さな村の無名の主任司祭は、善き羊飼いの姿を目に見える形で全世界に示す存在となったと教皇は振り返られた。

ビアンネ神父は生きた公教要理であり、特に彼がミサを捧げる時、聖体礼拝をする時、告解室にいる時、信徒はそれを最大限に学ぶことができた。

教皇はビアンネ神父が聖体を生活の中心に据え、信仰と尊重をもってミサを捧げ、聖体を礼拝していたこと、また赦しの秘跡を重要視し、告解室の中で一日の大半を過ごし、疲れを知らぬ最良の聴罪司祭、霊的指導者として抜き出た存在であったことを示された。

ビアンネ神父の時代と現代の社会・文化状況は違っても、このアルスの主任司祭の神から与えられた使命への謙遜な忠実、絶え間ない自己献身、神の摂理への大きな信頼は今日のすべての司祭に必要なものと教皇は指摘。同神父が人々の心に触れることができたのは、自分の人間的能力のためでも努力のためでもなく、自分が生きてきたキリストとの友情のためであったと述べられた。

キリストを深く愛した彼が聖体に対して育んでいた愛こそが、その司牧的成功の秘訣であったと教皇は話された。

そして、ビアンネ神父が生きた革命後のフランスを覆った一種の「理性の独裁」の時代、また今日私たちが置かれた「相対主義の独裁」の時代、いずれの時代も人々の「真理への渇き」は変わらず、司祭たちはこの渇きに答えるため、「信仰の教育者」として「真のキリスト教共同体」を育て、すべての人々にキリストへ続く道を開く必要があると説かれた。
 







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