2009-03-12 19:02:30

教皇、全カトリック司教に宛てた書簡:ルフェーブル派司教の破門解消について説明


教皇ベネディクト16世は、「ルフェーブル大司教に叙階された4司教の破門解消について」と題された書簡を、カトリック教会の司教らに宛てて記された。

この書簡は2009年3月10日付のもので、バチカンの広報局を通し12日発表された。

今年1月、教皇は、マルセル・ルフェーブル師によって教皇庁の承認なしに1988年叙階された4名の司教の破門を解消された。

このたびの教皇書簡は、この破門解消の目的を説明し、教会内の一致を強調するものとなっている。

教皇は書簡の冒頭で、今回の破門解消が教会の内外に大きな議論をもたらしたことに触れられた。

司教たちの間で、この破門解消を今日の教会の課題の中でどのように位置づけるべきかという疑問や、和解に向けた今回の処置を良いものと捉えながらも、現代の教会の中でそれは急務の問題なのかという思いや、あるいは、これは第2バチカン公会議以前に後戻りするものだという批判などが起きたことに対し、教皇はこの書簡が、ご自分と教皇庁がこうした決断をとったことの意図を理解し、教会内の平和に貢献するための助けとなるように願われている。

教皇は、特にウイリアムソン司教の件が破門解消と重なったのは、ご自分にとって思いがけず不幸なことであったと述べられた。そして、4司教に対する慈悲の行為が、これによって突然全く違うものとして捉えられ、第2バチカン公会議で明確にされたキリスト教とユダヤ教の和解がまるで否定されたかのように見なされたことは、ただ深く遺憾なことであると、記されている。

こうした中で、状況をよりよく理解できるはずのカトリック信者からの非難を教皇は悲しまれる一方、ユダヤ教関係者がこの誤解を解くよう助けてくれたことに深い感謝を述べている。

教皇はこれを機会に、今回の破門解消の範囲を改めて説明。破門は人に及ぶもので、組織に及ぶものではないこと、すなわち人と組織の区別を強調された。教会は破門という重い罰をもって、教皇との一致から離れた人々を悔悛と一致へと呼び戻すが、叙階からの20年、残念ながらこの目標にはまだ到達していない、と記されている。

聖ピオ10世司祭兄弟会は、規律上の点からではなく、教義上の点から、教会の中で教会法上の認可を受けておらず、教会の罰から解放されても、教義上の問題が解決しない限り、その聖職者たちは正当な方法で教会内の役務を果たすことができないと教皇は明示された。

また教皇は、今回の破門解消が多くの課題の中でそれほど必要なものなのか、という疑問に対しても答えを示されている。

教皇はご自分の使命は、「信仰の火がかき消されそうな危険にある現代」に「人々を神に導くこと」であると述べ、そのためにはキリストにおける信仰を共に証しするよう努力するエキュメニズムや、神を信じる人々が共に平和を追求するための宗教間対話、そして神の愛を証しするための社会的実践が必要であると同様、兄弟たちへの和解の行為も重要であると指摘された。

「この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、隣人を自分のように愛しなさいという一句によってまっとうされるからです。だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」という聖パウロのガラテヤの信徒への手紙(5,13-15)を引用された教皇は、この状況は残念ながら今日の教会にも存在すると述べ、私たちは自由の正しい使い方、そして何にもまして最優先されるべき「愛」を新たに学ばなければならないと、皆に呼びかけられた。







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