2009-02-03 15:30:05

イエスの愛のための苦しみと十字架上の死を思う、教皇、日曜の集い


教皇ベネディクト16世は、バチカンで1日、日曜正午のアンジェラスの祈りを信者と共に唱えられた。

説教の中で教皇は、マルコ福音書の特徴の一つとして、いくつかのエピソードにおいて、イエスがごく親しい弟子たち以外にはご自分が神の子キリストであることをすぐに公にすることを望まれず、使徒や癒された病者らにご自分のアイデンティティについて誰にも言わないよう命じている点を挙げられた。

実際、この日の福音朗読箇所、イエスが汚れた霊に取り付かれた男をいやすエピソード(マルコ福音書1,21-28)においても、イエスは悪霊を人から追い出すだけでなく、悪霊にイエスの正体を言わないよう黙らせている。

教皇は、イエスがこの秘密にこだわるのは、十字架上の犠牲を通して人類を罪の支配から救うという大切な使命の遂行がかかっているためであり、一方で悪霊にとってはイエスの十字架は破滅であるがゆえに、悪霊は権力と成功に満ちた人間的なメシアの論理へとイエスを誘導しようとしていると、説明された。

イエスにとって苦しみは使命の一部であり、メシアが栄光に入るには多くの苦しみを受け、拒絶され、十字架にかからなければならないとイエスが弟子たちに繰り返し教えているのは、そのためであると教皇は話された。

イエスの愛のための苦しみと十字架上の死は、私たちの苦しみに意味を与え、心身の試練にも深い平安をもたらしてくれると述べた教皇は、この日イタリアの教会が記念した「いのちの日」のテーマ「苦しみの中の生きる力」を紹介された。

この中で教皇は安楽死問題に言及。安楽死は苦しみの真の解決法ではなく、真の答えは、人間的な方法で苦しみに対峙することを助ける「愛」を証しすることと述べ、苦しむ人の涙も、そばにいる人の涙も、神の前で癒されることを私たちは知っている、と話された。
 







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