2008-11-24 18:10:27

188人殉教者列福式:教皇特使サライヴァ枢機卿の挨拶


ペトロ岐部カスイ神父および187人殉教者の荘厳な列福式ミサの終わりにあたり、私はこの儀式に参列できたことを大変光栄に思うと同時に、日本の教会の大きな喜びに私の心からの喜びを合わせたく存じます。

ローマ教皇ベネディクト16世から、今回の儀式に教皇代理として派遣されたことを大変嬉しく思います。教皇様からの挨拶と使徒的かつ父的祝福を皆さん一人ひとりにおおくりします。

神のしもべ教皇ヨハネ・パウロ2世は、1981年2月26日、まさにこの長崎の地で言われました。「今日私は、多くのキリスト者たちがその生命を捧げることによって彼らのキリストへの忠誠を証ししたこの長崎を訪れる多くの巡礼者たちの一人でありたいと思います。1597年2月5日、この長崎で26人の殉教者たちは、その死を通して十字架の力を証しました。彼らは多くの殉教者たちの初穂でした。事実、彼らに続いて多くの殉教者たちがその死と苦しみを通してこの国を聖化しました。今日、私はこの地に、長崎の殉教者たち、あの26聖人、そしてそのあとに続く多くのすべての殉教者たちのために神に感謝するために来ました」。

今日、この列福式をもって、教皇様の預言的な言葉は実現したと言えましょう。4世紀の後、188人のキリスト者たちの名前に光があてられました。彼らはすべてキリストへの信仰のために、殉教という最高の賜物をいただいたのです。これまで「生命の書」の中に隠されていたこれらの名前は、今日から殉教者たちのリストに書き込まれ、公のものとなりました。

今回、列福された殉教者たちの社会的な地位や殉教の場所、またその時期も様々です。この事実は、教会の教えがいつも生き続けていることの印です。なぜなら、殉教こそ人間の自由の最高の行使であり、聖アウグスティヌスが書いているように「殉教者を殉教に走らせるのは処罰でも拷問でもなく、キリストこそがあらゆる殉教の理由なのです」。

教皇ベネディクト16世は言われます。「キリスト教の殉教のこの特徴を繰り返し強調する必要があります。殉教は何よりもまず愛の行為です。神と人間、迫害者たちをも含めたすべての人々のための愛の行為です」。

この混乱した世界にあって「子羊の血でその衣を純白にした」これら殉教者たちの模範は、人々に確実な指針を与えてくれます。そして、言葉と行いをもって、私たちの崇高な理想を実現し、神の子らの間に真の兄弟愛を促進するために、信仰の公の証を強化するのです。

毎日ミサ聖祭を捧げ続ける教会、すべての人々にキリストの福音を告げる宣教の教会は、また同時に、殉教の血による深紅の衣を手放すことのない、殉教者の教会でもあります。

このような理由で、今日この教会は信仰と教会的な交わりの崇高な体験を実感しています。この体験はほとんどが一般信徒で構成される多くの男女、若者たち、お年寄りたち、子供たち、独身者たち、家族たちが流した血によって、キリストを告白したその信仰によって、豊かなものとされるのです。

殉教は教会の聖性の明らかな印です。そして、それはまた教会の宣教者としての使命の荘厳な宣言にもなるのです。祭壇の栄光に上げられた日本の神の民のこのように優れた信仰の証は、世紀を通じて働く酵母の役目を持っているので、日本の教会、ひいては日本全国の未来のために大きな希望の源となるのです。

殉教者たちの女王である聖母マリアが、ペトロ岐部と187人の日本殉教者たちの荘厳な列福式にあたって、聖母の取次ぎに信頼し、各瞬間を福音への奉仕に生命を愛をもって奉献し、十字架上で死にそして復活したキリストを証しする恵みを請い求めるすべての人々をお守りくださいますように。







All the contents on this site are copyrighted ©.