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2008-11-20 15:28:39
教皇一般謁見・カテケーシス要約(2008.11.19)
親愛なる兄弟姉妹の皆さん
聖パウロをめぐるカテケーシスで、今日はパウロの義化についての教えを考察しましょう。
ダマスコ途上でのあの強烈な体験を通し、聖パウロは、人間は自分自身の功徳によってではなく、ただキリストへの信仰によって、神のみ前で義とされるのだと理解しました。
神の恵みであるキリストにおける私たちの義化は、十字架の神秘の中に啓示されます。キリストは私たちにとって、知恵、義、聖、贖いとなるために死にました(1コリント1,30)。そして、その代わりに私たちは信仰によって義とされ、キリストにおいて神の義人となったのです(2コリント5,21)。
十字架の光とその和解の恵み、聖霊における新しい生命において、聖パウロは律法と業とによる義化を否定しました。
神からイスラエルに授けられたモーセの律法は、聖パウロにとって廃止されたわけではありません。アブラハムへの神の約束は、今キリストにおいて完成されたのです。
キリストによってのみ、私たちは義化され、新しい生命の恵みを受けるのです。律法はキリストの目標です(ローマ10,4)。そして、その完成は、新約の愛の掟にあるのです。
ですから、私たちも聖パウロと共にキリストの十字架を私たちの唯一の誇りとし(ガラテヤ6,14)、私たちをもキリストの身体である教会の一員としてくださった神の大きな恵みに、心からの感謝を捧げましょう。
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